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mms:archives:interview_nakamoto_hiromichi [2021/10/07 16:12]
Anar-Isil
mms:archives:interview_nakamoto_hiromichi [2021/10/07 16:17] (当前版本)
Anar-Isil [データイースト流のゲーム企画や開発の手順]
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 #中本博通インタビュー #中本博通インタビュー
  
-前半:データイーストのゲーム開発の歴史+##前半:データイーストのゲーム開発の歴史
  
-##電気工作、シンセサイザーに夢中になった少年時代+###電気工作、シンセサイザーに夢中になった少年時代
  
  
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 で、そんなこんなで、大学に入った後は、やっぱり、ちょっと遠いところに、東海大学というところの通信工学科っていうところに入ったんです。今は東海大学前っていうんですかね、昔は大根(おおね)、ダイコンって書く駅があって、新宿からだとすごい時間掛かるんですけど。 で、そんなこんなで、大学に入った後は、やっぱり、ちょっと遠いところに、東海大学というところの通信工学科っていうところに入ったんです。今は東海大学前っていうんですかね、昔は大根(おおね)、ダイコンって書く駅があって、新宿からだとすごい時間掛かるんですけど。
  
-##学生時代~データイースト入社までの経緯+###学生時代~データイースト入社までの経緯
  
 Q:大根は小田急線の駅ですよね。 Q:大根は小田急線の駅ですよね。
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 ですから、高校からキーボードを始めるようなありさまだったので、演出技術とかも全然なかったですね。しかも、真面目に努力するのが苦手なタイプでしたし、いつも楽をしてできないかなあと考えてばかりいました。大学時代にやっていたバンドでも、すごく真剣そうにやってはいるんだけど、実はシーケンサーをただ使っただけで、でもそれでもいいや、何かカッコイイし、それだけでもまあいけるみたいな(笑)。なので、事情を知っている人から見れば、もうプッて笑われるようなレベルでしたから、彼とは全然次元が違うっていうことぐらいはさすがにわきまえていましたね。 ですから、高校からキーボードを始めるようなありさまだったので、演出技術とかも全然なかったですね。しかも、真面目に努力するのが苦手なタイプでしたし、いつも楽をしてできないかなあと考えてばかりいました。大学時代にやっていたバンドでも、すごく真剣そうにやってはいるんだけど、実はシーケンサーをただ使っただけで、でもそれでもいいや、何かカッコイイし、それだけでもまあいけるみたいな(笑)。なので、事情を知っている人から見れば、もうプッて笑われるようなレベルでしたから、彼とは全然次元が違うっていうことぐらいはさすがにわきまえていましたね。
  
-##データイースト入社当時の社内環境・業務内容+###データイースト入社当時の社内環境・業務内容
  
 Q:先程もお話がありましたが、データイーストの福田社長も東海大卒ということで、社内にはある種の東海大学閥みたいなものがあったようですね。 Q:先程もお話がありましたが、データイーストの福田社長も東海大卒ということで、社内にはある種の東海大学閥みたいなものがあったようですね。
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 当時は先程もお話したように、サウンド用のデバッガーっていうのがなかなか難しかったんです。ICEのほかにもCPUのサウンド部分を動かすようなものも作らなくてはいけなかったりするので、すごく装置が不安定なんですね。装置は3号機だったか、4号機くらいまであったんですけど、それぞれの機械ごとに音が違ったり、安定性も違っていましたので、音作りをする人間が自分のお気に入りの機械を奪い合うようにして使っていましたね。デジタルなのに、何でそんなアナログみたいな状態になるんだろうなあと。サウンドの担当が機械を奪い合うような悲しい状況になったのは、実はこういう理由があったからなんです。 当時は先程もお話したように、サウンド用のデバッガーっていうのがなかなか難しかったんです。ICEのほかにもCPUのサウンド部分を動かすようなものも作らなくてはいけなかったりするので、すごく装置が不安定なんですね。装置は3号機だったか、4号機くらいまであったんですけど、それぞれの機械ごとに音が違ったり、安定性も違っていましたので、音作りをする人間が自分のお気に入りの機械を奪い合うようにして使っていましたね。デジタルなのに、何でそんなアナログみたいな状態になるんだろうなあと。サウンドの担当が機械を奪い合うような悲しい状況になったのは、実はこういう理由があったからなんです。
  
-##ファミコン用ソフトの開発部署に異動BGMの作曲や音質の向上にも貢献+###ファミコン用ソフトの開発部署に異動BGMの作曲や音質の向上にも貢献
  
 Q:ファミコン用ソフトの開発をする部署に移られたのは、だいたいいつ頃ですか? Q:ファミコン用ソフトの開発をする部署に移られたのは、だいたいいつ頃ですか?
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 中本:ありがとうございます。で、今度は企画のほうに回ったのですが、ただ企画だけを見ていればいいといういうわけではありませんでした。やっぱり、金の匂いがする所には人が集まってくるのは今も昔も変わらなくて、持ち込み企画も増えていきましたね。「こういうのを出したい」とか「こういうのはどうか?」とか、あるいは「うちを使ってくれないか?」とか、要はプログラムの外注をします、企画を出しますとか、そういう持ち込みがたくさん来るようになりましたので、私がいろいろな所へ見に行ったり、発掘をしたりしていました。やっぱり、だんだんラインが足りなくなってくる状況にはなっていましたので、そういうこともだいぶ増えていきましたね。 中本:ありがとうございます。で、今度は企画のほうに回ったのですが、ただ企画だけを見ていればいいといういうわけではありませんでした。やっぱり、金の匂いがする所には人が集まってくるのは今も昔も変わらなくて、持ち込み企画も増えていきましたね。「こういうのを出したい」とか「こういうのはどうか?」とか、あるいは「うちを使ってくれないか?」とか、要はプログラムの外注をします、企画を出しますとか、そういう持ち込みがたくさん来るようになりましたので、私がいろいろな所へ見に行ったり、発掘をしたりしていました。やっぱり、だんだんラインが足りなくなってくる状況にはなっていましたので、そういうこともだいぶ増えていきましたね。
  
-##ファミコン名人としてテレビに出演、企画や外注管理も担当+###ファミコン名人としてテレビに出演、企画や外注管理も担当
  
 Q:ハードウェアから始まって、サウンドの次は企画、それから外注のほうも見られていて、本当にいろいろな業務をご経験されたんですね。 Q:ハードウェアから始まって、サウンドの次は企画、それから外注のほうも見られていて、本当にいろいろな業務をご経験されたんですね。
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 ##後半: データイースト在職時の証言 ##後半: データイースト在職時の証言
  
-##データイースト流のゲーム企画や開発の手順+###データイースト流のゲーム企画や開発の手順
  
 Q:ラインがだんだん増えてきて、外注先ができたということでしたが、ラインを増やそうというモチベーションもあったわけですし、いろんな企画が上がってきたりということもあると思うんですけど、どういうプロセスを経て、出てきた企画が実際のラインに乗るような形だったんですか? Q:ラインがだんだん増えてきて、外注先ができたということでしたが、ラインを増やそうというモチベーションもあったわけですし、いろんな企画が上がってきたりということもあると思うんですけど、どういうプロセスを経て、出てきた企画が実際のラインに乗るような形だったんですか?
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 Q:野島一成さんですね。 Q:野島一成さんですね。
  
-:ええ。後に、『ファイナルファンタジーVII』とかを作った野島さんですね。彼は、特に営業とかに行ってキャッチアップするのがうまかった企画でしたね。逆に、営業とかにも一切行かなくて我が道を突き進む、もう「ゲーム道」みたいな自分で極める感じでやっていたのが渡辺さんという企画で、『サイレントデバッカーズ』とか、すごい特殊過ぎて「マニアでもちょっとできねえよ!」というようなゲームとかを作る、いろいろなタイプの企画がいました。+中本:ええ。後に、『ファイナルファンタジーVII』とかを作った野島さんですね。彼は、特に営業とかに行ってキャッチアップするのがうまかった企画でしたね。逆に、営業とかにも一切行かなくて我が道を突き進む、もう「ゲーム道」みたいな自分で極める感じでやっていたのが渡辺さんという企画で、『サイレントデバッカーズ』とか、すごい特殊過ぎて「マニアでもちょっとできねえよ!」というようなゲームとかを作る、いろいろなタイプの企画がいました。
  
 そんな企画のメンバーたちの個性というのが、最終的には会社のカラーになっていったのかなと思います。今の企業では考えられない、KPI無視のやる気重視で(笑)、俺を信じろ型の開発でした。マーケティングの真似事みたいなものも、ちゃんと勉強しようということでいろいろなポジショニングマップを作ったりとか、今いるお客さんを、「この象限からこっちの象限に引き上げるためには、このタイトルを出すんだ」みたいなこともやったんですけど、それはあくまで自分の話を聞かせるための説得材料として使っていたので、本気でマーケティングをしたと言うよりは、自分の企画を通すためのツールとして利用していたというのが実態ではなかったかと思います。 そんな企画のメンバーたちの個性というのが、最終的には会社のカラーになっていったのかなと思います。今の企業では考えられない、KPI無視のやる気重視で(笑)、俺を信じろ型の開発でした。マーケティングの真似事みたいなものも、ちゃんと勉強しようということでいろいろなポジショニングマップを作ったりとか、今いるお客さんを、「この象限からこっちの象限に引き上げるためには、このタイトルを出すんだ」みたいなこともやったんですけど、それはあくまで自分の話を聞かせるための説得材料として使っていたので、本気でマーケティングをしたと言うよりは、自分の企画を通すためのツールとして利用していたというのが実態ではなかったかと思います。
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 中本:それから、『タッグチームプロレスリング』とかもそうですね。 中本:それから、『タッグチームプロレスリング』とかもそうですね。
  
-Q: +Q:『タッグチームプロレスリング』も、元はデータイーストのアーケードゲームでしたよね。
-『タッグチームプロレスリング』も、元はデータイーストのアーケードゲームでしたよね。+
  
 中本:ナムコさんは特殊チップを持っておられたので、私は入社当時からファミコンがもう好き過ぎてしょうがなかったんですけど、ハードウェアをたまたまやっていましたので、バンク切り替えチップですとかを、他社さんがオリジナルで作られていたのがわかっていたんですね。任天堂さんのほうでも、途中からMMC1とかMMC3とかを作って共通化していったんですけれど、それまでは各メーカーが勝手に作っていた変な時代がありまして、その頃は他社さんのバンク切り替えチップの動作を個人的な趣味で調べていたんです。 中本:ナムコさんは特殊チップを持っておられたので、私は入社当時からファミコンがもう好き過ぎてしょうがなかったんですけど、ハードウェアをたまたまやっていましたので、バンク切り替えチップですとかを、他社さんがオリジナルで作られていたのがわかっていたんですね。任天堂さんのほうでも、途中からMMC1とかMMC3とかを作って共通化していったんですけれど、それまでは各メーカーが勝手に作っていた変な時代がありまして、その頃は他社さんのバンク切り替えチップの動作を個人的な趣味で調べていたんです。
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 中本:でも、ちゃんと実現できましたので、「あのプログラマーはすごいや」「彼はすごい能力の持ち主だよ」って、お詫びに周りに触れ回ることで許してもらいました(笑)。まあそんな失敗とかがいろいろとありましたね。すみません、また話がそれてしまいました......。 中本:でも、ちゃんと実現できましたので、「あのプログラマーはすごいや」「彼はすごい能力の持ち主だよ」って、お詫びに周りに触れ回ることで許してもらいました(笑)。まあそんな失敗とかがいろいろとありましたね。すみません、また話がそれてしまいました......。
  
-##アーケードゲームの開発も担当+###アーケードゲームの開発も担当
  
 Q:中本さんは、アーケードゲームの『強行突破』と『ダーウィン4078』の開発も担当されたそうですが、そもそもアーケードゲームの開発を担当するようになったのはなぜですか? Q:中本さんは、アーケードゲームの『強行突破』と『ダーウィン4078』の開発も担当されたそうですが、そもそもアーケードゲームの開発を担当するようになったのはなぜですか?
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-##ファミコン名人ブーム期の業務内容+###ファミコン名人ブーム期の業務内容
  
 Q:いわゆる、ファミコン名人ブームの時期がありましたよね? Q:いわゆる、ファミコン名人ブームの時期がありましたよね?
行 708: 行 708:
  
  
-##改めて振り返る、データイーストならではの社風+###改めて振り返る、データイーストならではの社風
  
 Q:今のお話を聞いていますと、昔は引き抜きを恐れていた時期もあったけど、ナムコとの関係とか、そうやってセガさんにも出入りができたのは、データイーストでは企業間の垣根が低かったからということですか? Q:今のお話を聞いていますと、昔は引き抜きを恐れていた時期もあったけど、ナムコとの関係とか、そうやってセガさんにも出入りができたのは、データイーストでは企業間の垣根が低かったからということですか?
行 812: 行 812:
  
 ハードが良かったとか、確かにそういう面もあったかもしれませんが、アタリのようにならなかったのは任天堂のお陰で、もう足を向けて寝れないのかなあとも思います。山内さんが何度も仰っていた、「ダメゲー、クソゲーが世の中にあふれかえっている。マルチメディアというものがあるのならば見せていただきたい」とか、名言をたくさん残されていましたよね。そういう考え方に、少なくとも当時ゲームに携わっていた者は耳を傾けたに違いないと。私もその1人でしたし、そこはもう間違いないのではないかと思いますね。 ハードが良かったとか、確かにそういう面もあったかもしれませんが、アタリのようにならなかったのは任天堂のお陰で、もう足を向けて寝れないのかなあとも思います。山内さんが何度も仰っていた、「ダメゲー、クソゲーが世の中にあふれかえっている。マルチメディアというものがあるのならば見せていただきたい」とか、名言をたくさん残されていましたよね。そういう考え方に、少なくとも当時ゲームに携わっていた者は耳を傾けたに違いないと。私もその1人でしたし、そこはもう間違いないのではないかと思いますね。
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