「竜退治はもうあきた」とドラクエチームから巣立った男がメジャーを目指して26年。流行に逆らい続けたメタルマックスが追い求めたのはドラクエからの自由だった【宮岡寛インタビュー】

登場人物プロフィール

宮岡寛(みやおかひろし)

1958年、山口県生まれのゲームクリエイター。早稲田大学在学中からライター活動を始め、堀井雄二氏、鳥嶋和彦氏などと交流。『週刊少年ジャンプ』のゲーム情報コーナー“ファミコン神拳”ではミヤ王の名前で活躍する。『ドラゴンクエスト』シリーズの1作目から『III』まで携わったのちに、有限会社クレアテックを設立。1991年に自身の代表作となる『メタルマックス』を生み出し、同作は以後現在まで続くシリーズとなる。


田内智樹(たうちともき)

1作目の『メタルマックス』ではデータイーストからのプログラマーとして参加。以降、宮岡氏の右腕として、企画やディレクションなどさまざまな形でシリーズに関わるキーマン。ほかにも『ヘラクレスの栄光III』、同『IV』や、宮岡氏とともに『RPGツクール』シリーズ、『天空のレストラン』などにも携わっている。


とみさわ昭仁(とみさわあきひと)

1961年、東京都生まれのライター、ゲームクリエイター、古書店店主。ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』からライター活動を始め、『スコラ』、『ファミコン通信』など多数のメディアで活躍。『週刊少年ジャンプ』のゲーム情報コーナー“ファミコン神拳”ではカルロスというキャラクターとして登場。1991年から2009年まではゲームフリークに所属。2012年に特殊古書店“マニタ書房”を東京・神保町でオープン。珍本をはじめ、多方面にわたる無類のコレクターとしても知られ、近年では2018年3月に筑摩書房より『無限の本棚 手放す時代の蒐集論 増殖版』が刊行されている。


 伝説の大破壊によって荒野と化した世界。
 機械とも生物ともつかぬモンスターが徘徊するフィールドを冒険するのは、戦車を駆るモンスターハンターたち。

 RPGといえば剣と魔法の世界が主流だった時代に、『メタルマックス』はオイルと硝煙の匂いを漂わせて登場した。

 発売したのはデータイーストだが、そもそもの企画を立て、ゲームデザインとシナリオを担当したのは『週刊少年ジャンプ』のゲーム記事コーナー“ファミコン神拳”のナビゲーターであった、ミヤ王こと宮岡寛氏だ。

 『ドラゴンクエスト』のいわゆるロト三部作にも参加していたことで知られる宮岡氏は、なぜ王道RPGの頂点にあった『ドラクエ』に背を向け、独自路線の『メタルマックス』を作るに至ったのか。

 第1作の『メタルマックス』が発売されたのは、いまから27年も前、1991年のことだ。

 それがどのように世間に受け入れられたかは、すでに結果となって表れている。──正直、大ヒットしたとは言い難い。それでもなお『メタルマックス』は、熱烈なファンによって支持されている。

 今年──2018年の4月には、待望の新作『メタルマックス ゼノ』がプレイステーション4/プレイステーションVita用タイトルとして発売される。

 電ファミではこのタイミングを受けて宮岡氏に話を伺った。

 取材の場には、シリーズの1作目から参加し、宮岡氏の片腕とも言える存在の田内智樹氏も同席。あらかじめ申し上げておくと、今回のインタビュアーを務めるわたし、とみさわ自身も、『メタルマックス』の開発を手伝っていたという過去がある。

 当時の開発現場を見ていたからこそ訊くことのできる『メタルマックス』の開発秘話。

 『ドラクエ』から巣立った宮岡氏が『メタルマックス』に込めたものとは? その27年目の真意に迫る。

取材・文/とみさわ昭仁
撮影/佐々木秀二

「ホイミって……カッコ悪くないスか!?」

富沢氏:
 いきなりなんですが、堀井雄二さん【※1】のもとで『ドラクエ』を作っているときに、呪文のネーミングで事件があったそうですね?

宮岡寛氏(以下、宮岡氏):
 あれは衝撃的だった。

宮岡寛氏

 『ドラクエ』では、呪文の名前をどうするかでいろいろあったんだよ。ぼくと中村光一くん【※2】は、「ハリト」とか「ティルトウェイト」とか『ウィザードリィ』のような呪文をイメージしていて、それっぽいやつが来るのかな……と思っていたら、来たのが“ホイミ”。「ホ、ホイミ!?」みたいな(笑)。

※1 堀井雄二……1954年生まれ。「ドラゴンクエスト」シリーズの生みの親で知られるゲームデザイナー。学生時代からフリーライターとして活動し、その後、アニメカルチャー誌『OUT』の読者コーナーなどを担当。『ポートピア連続殺人事件』などを手がけるかたわら、『週刊少年ジャンプ』のゲーム紹介ページ“ファミコン神拳”を担い、その後も『ドラゴンクエスト』シリーズ、『いただきストリート』シリーズなど、ゲームデザイナー業を中心として活躍。
※2 中村光一……1964年生まれ。株式会社スパイク・チュンソフト代表取締役会長。高校時代にマイコン専門雑誌『I/O』へプログラムの投稿を始める。1982年にエニックス主催の第1回ホビープログラムコンテストで、制作したアクションゲーム『ドアドア』が優秀プログラム賞に入選。1984年にチュンソフトを設立した。その後、『ドラゴンクエスト』の1作目から『V』に至るまで携わったのち、自社ブランドで『弟切草』などサウンドノベルというジャンルの開拓や、いわゆるローグライクRPG『風来のシレン』シリーズをリリースするなど、精力的に活動している。

富沢氏:
 わはは! でも、その気持ちはわかります。

宮岡氏:
 それで、中村くんとふたりで「ホイミってかっこ悪くないスか!?」って堀井さんに大反対したの。

 すると堀井さんはいつもの癖で手許の紙をちぎりながら、「ま、とりあえずこのままにしておこうよ。来週の打ち合わせでもまだキミたちがそう言うなら変更も考えるからさあ……」って。

 ところが一週間もすると慣れてきちゃうから、まあ、誰も何も言わなくなるんだよ。

富沢氏:
 堀井さんの思うツボだ(笑)。でも、フィールドの移動を『ウィザードリィ』風の3Dダンジョンじゃなくて、『ウルティマ』風の見下ろし画面にしたのと同じ判断がそこにはあったんでしょうね。

宮岡氏:
 そう。かっこよさ、もっともらしさよりも、親しみやすさを重視したってことなんだよね。
 ホイミとラリホーが出てきた段階で、その後の方向性はほぼ決まった(笑)。

 いま振り返るとあの事件は、堀井さんの言語感覚が天才的であることの証明だったと思う。
 物の見事に予想を裏切って、しかもそれがただ“意外”なだけでは終わらない。

 ホイミにもラリホーにも、何と言うかこう……理性を司る大脳皮質じゃなく、本能を司る扁桃体に直接刺さるような、「言葉の生命力」みたいなものがあるでしょう。

 使い慣れて来ると、いつのまにか「ホイミ以上に回復呪文っぽい言葉はこの世に存在しないんじゃないか?」と思えて来るという。

 堀井さんは、「言霊が使える人」と言ってもいいんじゃないかな。

 それから『ドラクエII』、『ドラクエIII』と続編を作っていく過程で、呪文名を系統化する役目を担当したのはぼくなんですよ。

 堀井さんが“ギラ”の次は“ベギラマ”と決めたので、その言語感覚を要素に分解していったわけ。
 「元の呪文名に「~マ」と付けると、より攻撃力が高い感じがするな。じゃあ、他の呪文も……」という具合に、それらしい形にしていった。

富沢氏:
 ああ、いいですね。“ヒャド”が“ヒャダルコ”とか、当時、感動しましたもん。

宮岡氏:
 “ベギラマ”が“ベギラゴン”になったり、“ベホマ”が“ベホマズン”になったりとか、「これ、全然ハマるじゃん!」と(笑)。
 あの仕事は、堀井さんという天才の言語感覚と、自分の言語感覚との真剣勝負で、ぼくにとってはすばらしい経験だった。

富沢氏:
 宮岡さんが、そういう過程で“ゲームを作ることの面白さ”を感じた瞬間というのはどんなときだったのでしょう? ゲームデザイナーである自分を自覚した瞬間というか。

宮岡氏:
 それに関係する話で言うと、1作目のときに堀井さんに頼まれてエンディングのメッセージを書いたんですよ。でも最初にできたものはとても長くて、当然、堀井さんがあとから赤字を入れて、100行くらいあったエンディングが3行くらいにされちゃった。まあ、メモリがないから。

 そういうこともありつつ、ぼくが担当していたのは、意外と世界観に関わる部分も多かったんだよね。ダンジョンとか、町とか、アイテム名だとか。

 おもな流れは堀井さんと相談して、だいたいアイテムから決めていくわけですよ。「最後に必要なアイテムはこれ」って。

富沢氏:
 ああ、そこから逆算して、シナリオの流れを作っていく。

宮岡氏:
 おおまかな世界地図は堀井さんの頭の中にできているから、「今度はこういうのでいく」となると、どこにどのアイテムを置いて、どこでラスボスと戦わせる、というようなことを決める作業になる。

 すると、その前に海峡を渡るのに虹の橋をかけることになり、「だったら、そのためのアイテムが必要になるよな」という。

富沢氏:
 それで「じゃあ、そのアイテムはどこに隠そうか?」となっていくわけですね。

宮岡氏:
 そう。そういう作りかたを、なんとなく3回繰り返したことで、自分にもゲームが作れるような気がしてきたんだよね。そこがゲームデザイナーを意識した最初かもしれない。

 1作目のときは、まだ全然それが商売になるとすら思えなかったんだけど。

富沢氏:
 そういうもんですか。

宮岡氏:
 いや、ある程度は売れると思ったよ。『ポートピア連続殺人事件』がそれなりに売れたんで、もっと売れるだろうと『ドラクエ』のスタッフはみんな思っていた。

 「アドベンチャーが来たなら、次はRPGが来るに決まっている」と確信していた。でも、まさかあんなに売れるとは思わなかったけど。

田内智樹氏(以下、田内氏):
 『ドラクエ』の開発に誘われたときは、そもそも何を手伝ってくれと言われたんですか?

宮岡氏:
 堀井さんの手が回らないところだね。単純に言うとダンジョンとか、あとは町もそうなんだけど、メインの仕組みを作ってもそこに仕込むデータがないとプログラムがちゃんと動くかどうかもわからないので、それは誰かが作らなきゃならない。そういうところを作ってくれということ。

 それで『ドラクエ』のときは「ダンジョンをやってくれ」という話になったんだけど、「マップ用のパーツは4種類しか使えない」と言うんだ。

富沢氏:
 ああ、容量の関係でパーツがそれしか持てない。

宮岡氏:
 ということは、「床と壁で2種類使ったら、あと2種類しか残ってないわけ?(笑)」となって、しかたがないから階段は上りと下りを共通にして、残りのひとつは真っ黒のパーツで“闇”ということにすれば、まあ30分くらいは保たせられるダンジョンが作れるんじゃないかと思ったんだ。

富沢氏:
 宮岡さんが担当したダンジョンはどこでしょう?

宮岡氏:
 1作目では、ひととおりは全部作ったと思うよ。

富沢氏:
 ダンジョンにも難しさのレベルデザインがあるわけじゃないですか。そういうものもご自分で考えられたんでしょうか?

宮岡氏:
 そうね。「えらく難しすぎる」とか「ダメ!」とか言われて、何度もボツになったりはしたけど。

 ノウハウなんてものはまだどこにもない時代だったから、自分の本能だけが頼り。たぶんあの当時、日本一と言ってもいいくらいヘヴィなRPGプレイヤーだった自分の、プレイ経験が役に立ったとは思う。

田内氏:
 「たいようのいし」を取りに行くのに、城壁の外側を回り込むというギミックは宮岡さんのアイデアですか?

宮岡氏:
 あれは堀井さん。ああいうトリッキーなアイデアは堀井さんで、ぼくが作るとマジで難しくなっちゃうんだ(笑)。

富沢氏:
 『ドラクエII』で宮岡さんが作ったロンダルキアへの洞窟は、鬼畜のような難度のダンジョンとして有名ですもんね。

田内氏:
 ガライの墓へ行くために町の奥の暗闇に突っ込む仕掛けは?

宮岡氏:
 あれは、おれ(笑)。あれも苦し紛れなんだよ。だって使えるグラフィックパーツが全然足りないんだから。

富沢氏:
 ゲーム作りのノウハウなんて、まだ誰もよくわかってない時代です。堀井さんでさえRPGを作るのは初めてだったはずですもんね。

宮岡氏:
 ただ、その……なんていうのかな、たとえば『ウルティマ』って、その仕組みは革新的だったんだけど、ゲームとしてはズバ抜けて面白かったわけではないんですよ。
 だから、遊んでいると「自分ならああする。こうする。これはやりたくない」と感じることがたくさんある。

 それは『ウィザードリィ』でも同じで、面白いんだけど、「おれだったらここはこうするなあ」というものが必ずあって。そうするといろいろなRPGを遊んでいくうちに、ノウハウとまでは言えないけれども、そういうことが蓄積されていくわけです。

富沢氏:
 そうして蓄積された知見を頼りに『ドラクエ』を『III』まで作り、そこで宮岡さんは『ドラクエ』チームを卒業されたわけですよね。

ライター時代は「ほぼ運だけで生きてきた」

富沢氏:
 今日お伺いしたいのは『メタルマックス』についてです。爆発的にヒットした『ドラクエ』のいわゆるロト三部作に深く関わりながら、宮岡さんはその『ドラクエ』から離れ、機械油と火薬の匂いに満ちたRPG『メタルマックス』シリーズを手掛けられます。
 『ドラクエ』から離れた理由は何だったのか。そして『メタルマックス』で実現しようと思ったことは何なのか? 爆発的なヒットこそないものの、四半世紀にわたって熱いファンたちに愛され続ける『メタルマックス』というIPについて、『ドラクエ』との関係性などを含めつつ、語っていただければと思います。

 手始めに、『メタルマックス』を知るためには、まずは宮岡寛を知ることが必須。というわけで、最初のうちは宮岡さんご自身に関するお話を中心に伺うことになると思います。
 早速ですが、宮岡さんのご出身は山口県防府市でしたよね。ご存知の読者も多いと思いますが、宮岡さんはゲームデザイナーになる前はフリーライターでした。代表的なお仕事としては、やはり『週刊少年ジャンプ』のファミコン神拳【※】でしょうか。

宮岡氏:
 そうですね。ゆう帝(堀井雄二)、ミヤ王(宮岡寛)、キム皇(きむらはじめ)、てつ麿(黒沢哲哉)、カルロス(とみさわ昭仁)……ファミコン神拳のメンバーはみんなフリーライターだった。

※ファミコン神拳
1980年代後半に『週刊少年ジャンプ』の巻頭カラー綴じ込みページで連載されていた、ファミコン情報コーナー。『ドラクエ』の開発者本人たちが記事を執筆していたことで優先的な情報公開が可能となり、全盛期の『ジャンプ』の部数増加に大きく貢献した。

富沢氏:
 ライターは、そもそも目指していたものだったんですか?

宮岡氏:
 作家になる気で東京に出てきたんですよ。大学受験で早稲田の第一文学部に受かったから、まずそれを中退する。そして水商売の世界に入って、40歳くらいで文壇デビューする。そういう人生設計だったんだ。

富沢氏:
 いきなり中退って!(笑) いや、確かに物書きの世界には早稲田中退という人は多いですけど、だからといってそんな最初からやめること前提で。

宮岡氏:
 とにかく大学を中退して、水商売の世界に入って苦労を重ね、酸いも甘いも噛み分けてから書いた小説で直木賞を獲る、というような道筋を描いていたんだ。

 何も知らない若造だったからさ、とにかくそんなイメージで東京に来たの。

富沢氏:
 それで、順調に中退したと(笑)。その理由は……まあ、そういう計画だったとは仰いますが、だからといって積極的に中退したわけではないですよね?

宮岡氏:
 大学2年のときにビリヤードの店でバイトを始めて、それから麻雀も覚えたんですよ。そうしたらもうそれが楽しくてしかたなくなっちゃって。

 それでビリヤードのプロになるか、麻雀のプロになるか、真剣に悩む日々がしばらく続くんだ。

 毎日夕方になるとビリヤードの店でバイトして、夜中はずーっと徹マンする。

富沢氏:
 それは、大学の仲間と?

宮岡氏:
 いや、ビリヤードの客が多かったかな。あと新宿あたりの雀荘へフリーで打ちに行ったりもして、けっこう本気で麻雀のプロになろうかと思っていた。
 あのころって、小島武夫さんとかそういう有名なプロ雀士が多かったんだよ。

富沢氏:
 まったく麻雀できないわたしでも小島武夫さんの名前は知っています。

宮岡氏:
 そういうこともあって、気がついたら大学には行かなくなっていた。

 それである日、大学から“円満退学のすすめ”という書類が届いたんですよ。「あなたは規定の期間内に規定の単位を取れる見込みがありません。だからちゃんと授業料を払ってやめましょう」というような。

富沢氏:
 「やめるにしても、金は置いていけ」と(笑)。

宮岡氏:
 払わないと抹籍になる。抹籍だと中退とは言えない。

富沢氏:
 あ、それじゃ人生設計が狂ってしまいますね。

宮岡氏:
 結局、親が学費を払ってくれたのかもしれないけど、ともかく中退し、そこまではだいたい予定どおりで事が運んだ。一方そのころ、小池一夫さんの劇画村塾【※1】というものがあって、ぼくはその第1期生になったんですよ。

 さらに当時、新宿にシンデレラというディスコがあってさ、ぼくが大学を中退した直後くらいに、そこでダンスの大会が開かれたのね。東京中から猛者がいっぱい集まってくるから、これを山本貴嗣【※2】という男と「見にいこう!」という話になって。そうしたら、貴嗣がさくまあきらさん【※3】も誘っていたんだよ。

※1 劇画村塾
1977年に漫画原作者の小池一夫が開講した、漫画家・漫画原作者を養成するための私塾。出身者には、狩撫麻礼、高橋留美子、原哲夫、板垣恵介などといった錚々たるメンバーが並ぶ。

※2 山本貴嗣(やまもとあつじ)
1959年生まれ。劇画村塾第1期生の漫画家で、宮岡氏とは山口県時代からの幼馴染み。代表作には『最終教師』、『エルフ・17』、『剣の国のアーニス』、『SABER CATS』などがある。

※3 さくまあきら……1952年、東京都生まれ。大学在籍中に所属していた漫画研究会での活動を通し、堀井雄二と親交を深める。25歳のころに小池一夫劇画村塾に入塾。漫画評論家、漫画原作者などを経て、『週刊少年ジャンプ』の読者欄“ジャンプ放送局”の構成などで人気を博し、その後、『桃太郎伝説』、『桃太郎電鉄』シリーズでゲームデザイナーとしても活躍する。

富沢氏:
 さくまさんも劇画村塾の出身ですが、その日が初対面だったんですか?

宮岡氏:
 いや、劇画村塾では何回か顔を合わせていたけど、ちゃんと話したことはなかったね。

 そこで、貴嗣が「こいつ(宮岡氏)は大学をやめて何にもやることないから、使ってやってください」とさくまさんに言ってくれて、そこからライターになった。

富沢氏:
 そもそも劇画村塾に入ったのはなぜですか?

宮岡氏:
 貴嗣に「行こう」って言われたから。

富沢氏:
 わはは。そんな受け身な。

宮岡氏:
 でも、人生の節目になると必ず山本貴嗣がやってきて、ぼくの運命を変えるんだよね。

 それで、さくまさんのパシリというか、仕事のお手伝いをするところから、いまの仕事につながっていったわけ。

富沢氏:
 なるほど。わたしの目から見たライター宮岡寛は、まったく食えない時代があったとか、無名の出版社の仕事から少しずつ積み上げてきて……という感じではなく、最初からメジャー誌の仕事をしていた方という印象があったんですが、そういう経緯があったんですね。

宮岡氏:
 徳間書店の系列で、スターランド社というタレント本などを出していた小さな会社があって、そこで漫画のムック本を作ろうという企画がライター仕事の最初だったな。

 その仕事を見た小学館の編集者から声がかかって、小山ゆう先生の『がんばれ元気』の連載がもうすぐ終わるから、それを記念した本を作ってくれと頼まれた。

 それで、主人公の堀口元気が生涯で何発パンチを出したとか……。

富沢氏:
 ああ、豊福きこうさんの『水原勇気0勝3敗11S』なんて、漫画中の描写をカウントしてデータで漫画を語る本もありましたけど、それより前に?

宮岡氏:
 そう、ああいう漫画のデータ研究本のハシリだね。
 原作をひたすら調べて、データを拾ってという。それがメジャーでの初仕事。

富沢氏:
 では、最初に徳間書店や小学館などの仕事から始まって、さらには集英社の仕事もするようになっていくわけですから、ライターとしては順風満帆な道のりだったと。

宮岡氏:
 運だけはよかった。ほぼ運だけで生きてきた(笑)。

世界中で発売されたすべてのRPGを遊んでいた

富沢氏:
 当時のさくまさんや、堀井さんなど、のちにゲームデザイナーになる人たちって、他のライターと何が違っていたんでしょうか?

宮岡氏:
 まあ、ぼくはほかの……さくま人脈以外のライターさんとはあんまり会ったことはないんで、よくはわからないんだけど、たとえば『週プレ』(週刊プレイボーイ)あたりで活動してるライターさんとは、肌合いはぜんぜん違いますよね。

 彼らはどちらかというと、もっと修羅場に行きたがるというか。我々は、どちらかというとインドアで、マンガを読んだりゲームしたり。当時はゲームはなかったかもしれないけど。

田内氏:
 あの時期、いわゆるライターさんたちが、こぞってゲームを作るようになるわけじゃないですか。ハタから見ていて、あれは本当に不思議な感じがしました。

宮岡氏:
 まあ、単純に言うと、我々がライターになったころは、まだゲームなんて一般的なものではなかったんですよ。

 それがある日突然、ゲームというものが社会の中に浸透してきて、それが『コロコロコミック』あたりですごい人気になって、「子どもがそればっかりやってるらしい」という話が聞こえる時代になった。

 それで、ファミコンの仕事をやり始めるようになったわけだけど、最初のころはゲームを作るんじゃなくて、紹介記事を書くとか、攻略本を作るとか、そういうライターの仕事として関わっているだけだった。

富沢氏:
 そうですね。当時はそうでした。

宮岡氏:
 そのころは、まさか自分たちがゲームを作るようになるとは、思っていないわけですよ。まったく畑違いのことだから。作れるとも思ってないし。

 ところが、そこに堀井雄二という男がいてですね、なんか知らないけど、ライターなのにゲームデザイナーになってしまったと(笑)。

 それを見たさくまさんが「じゃあおれも」と。そこらあたりから、ドドーッと、みんなそっちの道へ向かっていった。

富沢氏:
 確かに堀井さんの『ドラクエ』の成功例は大きかったでしょうね。RPGは物語を提示するゲームだから、「おれたち物書きなら作れるかもしれない」と思わせてくれたという側面はありそうです。

田内氏:
 なおかつ「ゲームは儲かるらしい」っていうね。

富沢氏:
 確かに(笑)。それで異業種の人たちが入ってきたのも事実でしょう。

田内氏:
 ある脚本家さんがゲームのシナリオを書いたとき、「何に苦労したかといったら、ゲームのキャラクターはアドリブをしてくれないんだよね」って言っていました。

富沢氏:
 ははは! ゲームは用意したデータ以外のことは起こりませんからね。バグは別にして(笑)。
 あの、何度も訊かれていることでしょうけれど、宮岡さんが堀井さんと出会ったのは、どういうキッカケだったんですか?

宮岡氏:
 元をたどれば、堀井さんは劇画村塾の3期生なんだよね。それで堀井さんとさくまさんというのは、大学の漫研時代からつながってる古い知り合いなの。

 ぼくはさくまさんの弟子というか、ライターになっていた。で、さっきも言った初仕事のときは堀井さんも参加してるんだよ。

富沢氏:
 ムックですね。

宮岡氏:
 そこに堀井さんも参加していて、そのときに会っているんだよね。

富沢氏:
 堀井さんも早稲田の出身でしたよね。一方、さくまさんは立教だから、大学の先輩として宮岡さんは堀井さんと出会って、その後、さくまさんを紹介してもらったのかと思っていたんですが、順序が逆だったんですね。

宮岡氏:
 そう。しばらくはさくまさんの仕事の手伝いをしていて、堀井さんとはときどきすれ違うというような関係だったんですよ。

 それで、ここはあんまり書いてほしくないことなんだけど(笑)、いろいろあってぼくはしばらく仕事を干されていた時期があって、その後、鳥嶋さん【※】が「『ジャンプ』で何か書かないか」と言ってくださった。

 それで『ジャンプ』で仕事をし始めたわけなんです。そのあとファミコンブームがきたんだよね。

※鳥嶋和彦……1952年生まれ。1976年に集英社へ入社後、週刊少年ジャンプ編集部に配属され、あの鳥山明を見い出し、育てた編集者として知られる。『Dr.スランプ』の悪役ドクターマシリトをはじめ、数々のキャラクターのモデルにもなっている。現在は白泉社の代表取締役を務める。

富沢氏:
 ということは、『ジャンプ』での初仕事は“ファミコン神拳”ではなかったんですか。

宮岡氏:
 その前にグラビアページの構成などをやっていた。

 『ジャンプ』の漫画がアニメ化されたときに東映動画(当時)まで取材に行って、「今度、この漫画がこういう風にアニメ化されるぜ!」という記事とか、あるいは話題の映画があればそれを記事にするとか。そういうものをやっていたね。

富沢氏:
 そこにファミコンの大ブームがやってきて、“ファミコン神拳”が始まっていくと。

宮岡氏:
 “ファミコン神拳”は、鳥嶋さんが『コロコロコミック』を潰すために始めた仕事なんだよ。

富沢氏:
 さらっと恐ろしいこと言いましたけど、そんなこと書けませんよ!

宮岡氏:
 いや、ご本人もあちこちで言っているから(笑)。

 それで、「お前ら『コロコロ』の人気を『ジャンプ』に引っ張ってこい」と。ぼくとか、堀井さんとか、さくまさんとかは、あのころゲームセンターで一緒に遊んでいた仲間でもあるんだよね。そういう関係性もあって御鉢が回ってきた。

 あのころは、知り合いの中でぼくがいちばんゲームが上手かったんだよね。たとえばApple IIというゲーム機【※】があって……。

※Apple II……宮岡氏はゲーム機と言うが、1977年にApple社が発売した、パーソナルユースで大量生産された最初のマシンにあたる立派なパソコン。ただ、初期の『ウィザードリィ』などが稼働する数少ないマシンであり、堀井氏や宮岡氏など、当時は最先端のゲーム機として愛用していた人たちも多い。画像は本体上にモニタと2台のフロッピーディスクドライブを載せた Apple II

宮岡氏:
 仕事を干されてヒマで、どうせ週休5日だったから、Apple IIでめちゃめちゃゲームをしていたんだよね。
 それが仕事になるなんて思っていなかったけど、楽しいのでひたすらゲームばっかりやっていた。本数もそんなには出てなかっただろうけど、おそらく、あのころに世界中で発売されたすべてのRPGを遊んでいたと思う。そういうことがあって「お前がやれ」という話になった。

 当時、“ファミコン神拳”には裏ワザが書かれたハガキが毎週50000通とか来るわけですよ。それをぼくが見て、「実現できそうだな」と思ったやつは自分で確かめて、実際に再現できたらそれを誌面に載せていた。

 たとえば『スーパーマリオ』の無限増殖ワザとかは、「ああ、これはできるな」と直感的にわかるわけ。でも実際にやってみると、腕が足りずにできなくてさあ!

富沢氏:
 わっはっはっは。

宮岡氏:
 「あとちょっとだったのにィ!」とか叫びながら、徹夜でファミコンに向かって、ついにマリオの無限増殖に成功したときの感動みたいなものは、いまだに忘れられない。ゲームが好きでなきゃやってられない仕事だよね。

 そうこうしてるうちに、(それまではパソコンでゲームを作っていた)堀井さんが「ファミコンでゲームを作るぞ」という話を持ってきたの。

『ウルティマ』でも『ウィザードリィ』でもない『ドラクエ』の原点?

富沢氏:
 今回、そこはどうしても訊きたかったことのひとつでした。堀井さんから、宮岡さんが最初に『ドラクエ』に誘われたときのことです。どういう状況だったんでしょう?

宮岡氏:
 一緒に仕事をしていて定期的に会っていたんで、あまりよくは覚えちゃいないんだけども、おそらく何かの打ち合わせのあと、「今度こういうことやるんだけど、やんない?」みたいな感じだったと思うんだよね。

富沢氏:
 堀井さんはエニックスのコンテストで入賞して、『ポートピア連続殺人事件』をファミコンですでにリリースし、つまりアドベンチャーゲームから「次はいよいよRPGを作るぜ」という流れになっていました。そこに宮岡さんを誘ってくれたと。

宮岡氏:
 そうね。夜中にゲームをやったりして遊び回っているときに、堀井さんとたまたま新宿で会ったことがあって、そのとき堀井さんがPC-6001かな? 感熱紙に打ち出したパソコンのプログラムを持ち歩いていたの。「これがプログラムだよ」って見せてくれて。「へえ~」となって。

富沢氏:
 そのとき見せてくれたプログラムは、何のゲームだったんでしょう?

宮岡氏:
 内容以前にそれが何なのかもサッパリわからない。

富沢氏:
 それが『ドラクエ』への誘いにつながっていくんですね。

宮岡氏:
 同時期に『ウィザードリィ』をやっていたのが大きかったと思うね。

 あのとき堀井さんととても感動していたのは、「この世の中にこんなにすごい遊びがあるのか!」ということ。

 あのころはぼくも堀井さんもかなり麻雀にはまっていた。そうすると、コンピュータ相手のひとり遊びなんて面白いわけがない。ところがそう思い込んでいたのに、いざ『ウィザードリィ』をやり始めたら、麻雀どころじゃないわけよ。
 「この面白さはなんなの?」って、自分の中でそれが言語化できなかった。

 「なぜ、こんなに面白いのか。なぜ、自分はこんなに夢中になるのか」。

富沢氏:
 そりゃそうですよねえ。いまだって、それを言語化できるライターがはたしてどれほどいるか。

宮岡氏:
 深夜喫茶で朝までそんな話をしていた。
 そうした体験の中で、「堀井さんとはだいたいRPGに対する趣味が似ているなあ」ということはわかってきたの。同じようなところを面白がれるし、同じようなところを嫌だと感じてしまう。

富沢氏:
 面白さの理由は言語化できなくても、それを受け止める感性は同じ、ということですね。

宮岡氏:
 『ドラクエ』というのは、堀井さんや開発に関わったスタッフがRPGを遊んでいて「嫌だ」と思ったことをすべて排除して作られているんだよ。

富沢氏:
 自分たちの理想のRPGということですね。

田内氏:
 『ドラクエ』って最初は3Dダンジョンにする案があったと聞いたことがあります。

宮岡氏:
 うん、ぼくと中村くんは『ウィザードリィ』を作るものだと思ってたんだよ。

富沢氏:
 ああ、『ウィザードリィ』のようなものを。

宮岡氏:
 それが、まさか『ウルティマ』のほうに行くとは思わなかった(笑)。
 だって、どう考えても『ウィザードリィ』のほうが面白かったから。だけど堀井さんには独特の天才的なセンスがあって、「ファミコンで子どもに遊ばせるとするなら、冷静に考えたら『ウィザードリィ』じゃなくて、やっぱり『ウルティマ』なんだよ」という判断をしたんだ。

富沢氏:
 確かに。上から見下ろして歩き回る感じの、あのわかりやすさですよね。

宮岡氏:
 それで、堀井さんが出した企画書を見ると、ぼくと中村くんの予想を裏切って、もう『ウルティマ』になっているんだ。そのくせ戦闘画面は『ウィザードリィ』で。

 あのね、じつは当時、『ウィザードリィ』でもなく『ウルティマ』でもない、両方のゲームシステムを採り入れた『クエストロン』【※】というゲームがあったんですよ。

※クエストロン……1984年にSSI(Strategic Simulations, Inc.)から発売されたApple II用のゲーム。RPGではおそらく史上初めてコマンド選択方式を採用している。画像はQuestron Commodore 64版のゲーム画面
(画像はWikipediaより)

宮岡氏:
 『クエストロン』のすごいところって、ゲームを進めていると、ある日突然、システムに呼び戻されたりするんですよ。「魔法使いが会いたいと言ってるから戻ってこい」とか。
 プログラムがプレイヤーをコントロールしようとしたRPGは、おそらくあれが最初だったと思う。

 だからみんな『ウルティマ』だ『ウィザードリィ』だと言っているけど、堀井さんが『ドラクエ』を作るにあたっていちばん参考にしたのは『クエストロン』だったんだよね。

富沢氏:
 へえー!

宮岡氏が『ドラクエ』から去ったその理由

富沢氏:
 前提としての『ドラクエ』の話も長くなってきました。……ここで話しにくい部分もあるとは思うのですが、宮岡さんが『ドラクエ』から離れた理由を、この機会にぜひ教えていただけたら。

宮岡氏:
 うん、まあ……おれが『ドラクエIII』のころは文句ばかり言っていたから。

富沢氏:
 それは内容に関して?

宮岡氏:
 そう、たとえばダンジョンだったら、おれは「地下迷宮なんだから迷うように作るんじゃないんですか?」と言う。
 すると堀井さんは「いや、そんなものを作ったらプレイヤーが解けないだろう」と返してくる。
 そうするとおれもそのころは若かったから、「おかしい! 解きやすいダンジョンなんかあるはずがない!」と。まあ、そういう小さい衝突がいろいろあったわけですよ。

 いままでやっていない方法で、なおかつ実現可能な仕掛けを考えて、「こういうことをやりたいんです」と言っても、だいたい堀井さんに「ダメ」と言われて。

 その繰り返しで、なんとなく「方向性が違うかも?」という感じになってきたんだよね。

田内氏:
 どこかのバンドみたいですね(笑)。

宮岡氏:
 作り始めたころは、「似たような方向を向いているな」という実感があったんだけど、『ドラクエIII』のころになると、「だいぶ違うかも?」というようなズレがはっきりしてきた。

 それで堀井さんとしては、「宮岡には宮岡の作りたいようなものを作らせて、自分が作りたい『ドラクエ』は、別なスタッフを集めてリスタートする」という感じがあったんだと思う。

田内氏:
 宮岡さん、わたしに堀井さんと同じことを言っているんですよ。

富沢氏:
 えっ、それは『メタルマックス』シリーズで?

田内氏:
 そう。「きみの作ったダンジョンは難しすぎるからダメ」って。

富沢氏:
 わははは! 師弟が同じことを繰り返してるんだ。で、まあ、宮岡さんとしては、そこから「自分のゲームを作ってみよう」と思うようになったわけですか。

宮岡氏:
 あとはやっぱり、堀井さんが「(宮岡氏にもゲーム作りが)やれそうだ」と思ってくれたみたいでさ。

 そのタイミングでバンダイ(当時)から橋本名人【※1】プロデュースで「RPGを作ってほしい」という依頼があったから、「宮岡くんやってみない?」ということで、堀井さんが監修するという形で始まったのが『ルーンマスター』【※2】だったの。

※1 橋本名人
橋本真司。1956年生まれのゲームプロデューサー。バンダイ在籍時は営業部に所属。ゲームソフトの宣伝活動で日本全国を飛び回り、ハドソンの高橋名人らとともにファミコン名人として人気を博した。現在は株式会社スクウェア・エニックスで取締役執行役員を務める。

※2 ルーンマスター
剣と魔法のファンタジー世界という部分では『ドラクエ』の血を受け継ぎながら、ダンジョンでの冒険に主眼を置いたファミコン用RPG。バンダイから発売される予定だったが、残念ながら完成には至らず幻のゲームとなった。

富沢氏:
 ああ、そういう経緯があったんですね。わたしはそのとき宮岡さんに声をかけていただいて、『ルーンマスター』のお手伝いをさせてもらい、そのときに初めてRPG作りというものを学びました。マップの描きかたや、ショップでの会話のフローチャートなどは、そのとき宮岡さんから教わったんですよね。

 それはともかく、『ルーンマスター』は世に出ることはないままに終わり、“ファミコン神拳”も連載が終了しました。

 そして“ファミコン神拳”の最終回では、ミヤ王、キム皇、カルロスが「おれたちもゲームを作るぜ!」と宣言したところで終わります。それが『メタルマックス』になっていくわけですね。

宮岡氏:
 あのころって、ものすごいスピードだったんだよ。『ドラクエ』の1作目って半年くらいで作っているのね。その次の『ドラクエII』も半年くらい。『ドラクエIII』でやっと1年かけられた。

 そうすると、自分は『ドラクエ』3作にすごく深く関わったような気がしていたけど、正味でいうと2年とか、せいぜい3年なんだよ。

富沢氏:
 そうか、たったそれくらいの時間なんですね。

宮岡氏:
 そう。そういう短い時間の中で次から次へといろんな企画が立ち上がっていった。とにかくファミコンブームというのは、いままでになかった新しいジャンルが生まれる瞬間みたいなものだし、あまりにいろいろなことが立て続けに進行したんです。

そして『メタルマックス』の始まり

富沢氏:
 長い前フリを越えて、ここからは『メタルマックス』の話になります。最初は『メタルマックス』というタイトルもついておらず、「とにかくゲーム作ろうぜ」と始まっています。その制作のキッカケはわたしも覚えていないんですが、いったい何だったんでしょう? 広告代理店からの依頼ですか?

宮岡氏:
 ぼくは『ルーンマスター』を完成させられなくて、「やっぱり自分にはゲームデザイナーは無理なのか……」と思っていたの。

 いちばんの理由はプログラムがわからないから。たとえばプログラマーが逃げたときに、その尻を拭く能力がないわけだよ。
 ぼくにわかるのはBASICまでで、そこから先のことはわからない。覚えようとはしたけどね。

 ……と思っていたら、昔の知り合いから「ゲームを作りたいと言っている会社があるんだけど、宮岡さんやってみない?」という話が来て、「じゃあ、最後にもう1回だけチャレンジしてみるか」と。

富沢氏:
 ラストチャンスのつもりだったわけですか。

宮岡氏:
 そう。「これをやってダメだったら、完全におれには向いてないってことだよね」という感じだったよ。そうであったにもかかわらず、データイーストの社長を前にしたプレゼンで、広告代理店の担当者は「宮岡寛というのは日本で五本の指に入るゲームデザイナーです」って言ってくれちゃってさ。

富沢氏:
 ぶわははは! まったく広告屋さんってホラ吹きだなー(笑)。ともかくそれで「やりましょう!」ということになって、わたしも宮岡さんから「一緒にやんない?」と誘っていただいたんですよね。
 そして、このことは過去にも『メタルマックス』攻略本のインタビューなどで語っていますが、最初はボードゲームを作ろうという話でした。

宮岡氏:
 そう、「あまり予算がかからなくて、売れそうなものを」というようなオーダーがあったからね。

富沢氏:
 あのころ、すでにさくまさんの『桃太郎電鉄』がヒットしていましたから、それをお手本にはしましたよね。

宮岡氏:
 それもあるけど、あのころはほかに『鉄道王』というゲームもあって、まあ、そんなようなものをイメージして、「作るとしたらボードゲームかねえ」なんて話をしていた。

富沢氏:
 いまなら違うと解るんですけど、あの当時は「ボードゲームだったらわりと簡単に作れるんじゃないか?」なんてタカをくくっている部分はありましたよね。

宮岡氏:
 まあね。「RPGほど大変じゃないだろう」とは思っていたな。

富沢氏:
 なのに、いろいろとアイデアを練っていくうちに、どうしてRPGを作ることになっていったのか。その経緯は当然わたしも知っていますが、できれば宮岡さんの言葉で聞かせてください。

宮岡氏:
 そこは、あまり覚えていないんだよね。ただ、途中から「売れないわけにはいかない」という話になってきたんだ。

 最初のうちは「ちょろちょろっと儲けようぜ」という感じだったのが、そのうち「会社としてはヒットしてもらわないと困る」という話が聞こえてきて。

 「ボードゲームは売れるのか?」なんて追求されても、「いやあ、どうでしょう……?」なんて言葉を濁したりして(笑)。

富沢氏:
 そりゃ、作ってみないことにはわからないですよねえ。

宮岡氏:
 それで、「どうしても売りたいならRPGにするしかないかもなあ」という流れだったと思うんだよね。

富沢氏:
 わたしが当初のアイデアで記憶しているのはですね、ボードゲームのスタイルで、プレイヤーが陣地を取って領土を拡げ、遠くの土地で安く仕入れた資材を運搬して、こちらの土地へ高く売りさばいて……というような感じだったじゃないですか。
 そこで「運搬に使うのは鉄道よりもトラックがいいな」ということになり、「運搬中の資材を奪う野盗なんかが出てくるだろうから、それに反撃するための武器を積んで、改造して……」という流れでしたよ。

宮岡氏:
 わっはっは。ホント、それ?

富沢氏:
 何を言ってんですか。「トラックに大砲つけようぜ!」って言ったの、宮岡さんじゃないですか。

宮岡氏:
 そうだっけ(笑)。「ロボットものとかも面白いな」とは思っていたんですよ。トラックでもロボットでも、人間が何かに乗って戦う。そうすると「『ドラクエ』とも差別化ができるし、新しいゲームとしての売りになるんじゃないか」とね。

富沢氏:
 でも、以前『メタルマックス2』の攻略本を作ったときに宮岡さんへインタビューをしたら、「乗り物で戦うことがやりたかったけど、ロボットにはしたくなかった」って仰っていましたよ。

宮岡氏:
 そう、そこがいちばん悩んでいたところだったんだ。アニメでもゲームでもあのころはロボットものが多かったから、「オリジナリティを出すにはロボットではダメだろう」というのは解っていた。

 そこから、「現実にあるもので、武器が載せられて、改造もできるもの」ということで戦車になっていったんだね。

富沢氏:
 そんな経緯もありつつ、正式にデータイーストからの承認を受け、『メタルマックス』のプロジェクトがスタートするわけですが、さて、ここにあらためて田内くんが登場してきます。

田内氏:
 わははは。やっと呼ばれました。

富沢氏:
 データイーストで『メタルマックス』の開発がスタートしたとき、社内のスタッフはどのようにして編成されたのでしょう。田内くんは新人だったんですよね?

田内氏:
 わたしは当時まだ1年目で、ゲームが作りたくて入社したのに、なぜか電子手帳の担当になっちゃったんですよ。
 それでもなんとか仕事はしていたんですが、結局、その電子手帳の企画がポシャってしまって、手が空いていた。

 そのときに課長の机の横を通りかかったら、『メタルマックス』の企画書が置いてあったので勝手に読んでいたんです。

富沢氏:
 あー、悪い社員!

田内氏:
 そうしたらそこに課長がやってきて、「どう? 面白そう?」って、とくに怒られることもなく感想を訊かれて。

 「面白そうです!」、「やらせてください!」って自分を売り込んだところ、プロジェクトに参加させてもらえることになりました。

富沢氏:
 プログラマーにはその課長と、田内くんと、あと同期の福島純くんもいたでしょ。

田内氏:
 福島くんは最初から『メタルマックス』をやることになっていましたね。当時、彼と話していたんだけど、データイーストとしては『メタルマックス』は会社全体で力を入れていて、「これが売れなきゃもうダメ!」くらいのタイトルだった。

 表向きには課長がプログラムのエースなんで、課長が先頭に立って『メタルマックス』をやっているという感じだったんですけど、課長は本当は別のゲームで忙しく、実質『メタルマックス』を作っているのは、ゲーム制作経験のないわたしと福島くんだったんですよ。

富沢氏:
 うわっ、新人ふたりの肩に社運が(笑)。

田内氏:
 これはわたしの推測ですが、おそらく反発心があったんだと思うんですよ。
 それまでデータイーストは社内企画だけでやってきた会社なのに、「ここにきてなんで外部の持ち込み企画なんかやるんだ。そんなものに社内のエースなんか使ってられるか。新人で十分だろう」みたいなね。

富沢氏:
 その気持ちはわかります。ここで宮岡さんにお訊きしますが、『メタルマックス』を作り始めたときの気持ちというか、「こういうものにしたい」という想いは、どんなものだったんでしょう?

宮岡氏:
 まあ、徹底的にこだわっていたのは「誰もやっていないことをやる」ということだよね。もっと言えば、『ドラクエ』がやらないことをやる。

富沢氏:
 わかりやすいです(笑)。

宮岡氏:
 方向性として、『ドラクエ』的なものは『ドラクエ』に任せたいと思っていた。要は「RPGの面白さは『ドラクエ』の面白さだけじゃないはずだ。もっとほかの面白さがあるはずだ」と。だからぼくは『ドラクエ』が行かない方向へ行こうと。

田内氏:
 それでファンタジー路線じゃなかったんですか?

宮岡氏:
 うん。いわゆる “神様に導かれた勇者がお姫様を助けて世界を平和にする”というようないい話は、まあ『ドラクエ』でやってくれと。「こっちはそういうんじゃない話をやるよ」と。

 それで徹底的に「勇者じゃない」、「そこらの町工場のダメ息子」という設定にして、そいつがそんな気もなく世界を救っちゃう話にした。

 結局、主人公にしてみれば自分が最強になることが目的であって、「世界を救いたかったわけじゃないんだよ」という、ひねくれた話になったんだよね。
 それは『ドラクエ』という王道に対するアンチテーゼというところで根本を考えていたから。

富沢氏:
 そういう発想はプレイヤーから共感を得られると思いましたか?

宮岡氏:
 いやあ、そんなこと考えていなかったね。やっぱり「自分で作りたいものを作る」ということに一所懸命だったから。だって、完成させられるかどうかもわからなかったんだから。

 ただ、「自分のイメージどおりのゲームが作れれば面白くなるに決まっている」という、根拠のない自信だけはあったかな。でもそういう自惚れのない人間は、そもそも作家になろうなんて思わないわけで。

RPGだけどロールプレイをする必要はない

富沢氏:
 徹底的に『ドラクエ』的な王道から外れていこうと決めた『メタルマックス』で、そのとおりにできた部分と、「やっぱり堀井さん正しかったな」という部分があったと思います。実際にはどういったものがありましたか?

宮岡氏:
 えーと、ぼくの場合、基本のRPG作法は完全に堀井流です。
 だから『メタルマックス』って「竜退治はもうあきた。」とキャッチコピーで言っているけど、やっていることは『ドラクエ』なんだよね。

 たとえばダンジョンの中に分かれ道があるとしたら、その先には必ず宝箱が置いてある。ぼくは自分がプレイヤーだという気持ちで作るんで、長い分かれ道の先に何もないとムカつくんですよ。
 だから、プレイヤーが手間をかけたら、その手間に見合う対価を用意しておきたくなる。

富沢氏:
 行き止まりには何かしらのご褒美があるわけですね。

宮岡氏:
 宝がないなら、情報を置く。あるいは思わぬ抜け道があるとか。何かが得られるようになっているというね。
 だから、そのへんの「頑張ったら報われる」というのは“堀井流ゲームづくり”の基本だと思っているんで、そういう意味ではまったく堀井さんの流儀に従って作っている。

 話とかがひねくれているだけで(笑)、RPG作法というか方法論としては、堀井さんのまんま。

富沢氏:
 なるほど。ほかにも堀井流というのはありますか?

宮岡氏:
 いっぱいありますよ。たとえば「世界は変わるべきじゃない」とか。
 それはつまりRPGという世界の中ではパラメーターは自分だけなの。

富沢氏:
 パラメーターは自分だけ?

宮岡氏:
 変化するのは自分だけで、世界は変わらない。変わらないからこそ、自分が変わったことがわかる。

 自分に合わせてスケーリングして強くなるRPGってあるじゃない? そうすると、どこへ行って戦っても、ほどよい歯応えはあるんだけど、自分が強くなったという実感は得られない。

 そうではなくて、さっきまでムチャクチャ苦戦していた敵にレベルを上げてから再挑戦したら楽勝だった。
 そういう体験によって自分が成長したことがよくわかる。「世界は変わるべきじゃない、変わるのは自分なんだ」というのはそういうこと。それは当時聞いて「へえ~」と思った。

富沢氏:
 いまなら当たり前のことにも思えますけど、堀井さんが『ドラクエ』の1作目の時点でそういう考えを持っていたのがすごいですね。

宮岡氏:
 あと「同じことは3回言え」とか。

富沢氏:
 あはは、それはわかります。

宮岡氏:
 漫画でもそうなんだけど、読者はセリフなんて覚えていないんですよ。10ページも前のことになると覚えていないから、そのセリフが伏線になっていても機能しない。

 ゲームの場合も同じで、「北に行ったら洞窟があるよ」というのは、ひとりだけに言わせてもプレイヤーは忘れるから、いろいろなところで言わせないとならない。

富沢氏:
 「大事なことなので2回言いました」みたいな。

宮岡氏:
 そうそう。けっこう微に入り細に入り、堀井流というのがあるんですよ。やっぱ堀井さんは頭がいいんだよね。天才だと思いますよ。

富沢氏:
 『メタルマックス』の戦闘画面って、横から第三者が見ている視点構成ですよね。それは『ドラクエ』よりも『ファイナルファンタジー』的だと思うのですが、それを選んだ理由はなぜでしょう?

宮岡氏:
 戦闘画面が横になっているのは、イマ風に言えばTPS視点【※】に近い考えかたからですね。

※TPS視点
サードパーソン・シューティングゲーム(Third Person Shooter)と呼ばれるジャンルのゲームに特徴的な画面構成で、プレイヤーキャラクターをやや後方から追尾する第三者の視点のこと。

 『ドラクエ』の場合は自分たちは人間だけど、『メタルマックス』では戦車に乗っていることもあれば、戦車を降りて歩いてることもある。戦闘中も乗り降りすることができるしね。そういった様子をひと目でわかるようにする必要があったわけ。

 もっと言えば、苦労して手に入れた戦車が大砲を派手にぶっ放すところは見たいじゃない? そういう欲望もあるだろうというのは感じていたから。

富沢氏:
 確かに、それは見たいです!

宮岡氏:
 当時のファミコンの表現力を考えると無茶な望みではあったんだけど、何よりもまず画面写真を見た瞬間に『ドラクエ』とは違うものだっていうのを解らせたくてさ。それで、自分たちの姿を見せる形に落ち着いたの。

 あの当時『ドラクエ』は、世界最高水準の記号表現を実現したゲームだったはず。それを出発点として、より記号表現を洗練して行くのではなく、よりリアルなビジュアルに近づけたいという願望があったわけ。

 すでに『ファイナルファンタジー』が似たような戦闘画面で上手い見せかたをしてくれていたから、それは参考にさせてもらいました。

富沢氏:
 なるほど。少しゲーム内容に踏み込みますが、システムで特徴的なレンタルタンクについても、ちょっと聞かせてください。

 開発していた当時、レンタルタンクがわたしのゲーム哲学と合わずに、ずいぶん宮岡さんと衝突した覚えがあります。「借りないと大破した戦車を回収しに行けないのはシステムとして穴がある」というのがわたしの主張でした。

 結果としては、レンタルというシステムが遊びの幅を拡げてくれたわけで、「それが正解だった」といまなら理解できるんですが、当時わたしを説得したように(笑)、もういちど宮岡さんの言葉でレンタルタンクの利点を説明していただけませんか。

宮岡氏:
 うん……冷徹に言えば、レンタルタンクっていうのは論理的に「ハマる」可能性を排除するために必要なシステムだったってことだよね。戦車を何台持っていたとしても、そのすべてが自走不能になったら戦車を回収することができなくなってしまうから。

 あの仕組みを最初に思いついたのは桝田(省治)くん【※】だったと記憶しているけど、ぼくはそのアイデアを聞いた瞬間に「面白そう!」って思った。

 レンタルタンクという言葉がレンタルビデオを連想させる点もよかったね。
 我々がビデオを借りるように、この世界のハンターたちは戦車を借りるのかもしれない。

 我々が肌感覚で直感できる仕組みの中に、現実では絶対にあり得ないことが落とし込める。そういう点がすばらしいと思った。

※桝田省治……1960年、兵庫県生まれのゲームデザイナー、作家。広告代理店在職中に『桃太郎伝説』、『桃太郎電鉄』、『天外魔境』などの広告やプロデューサーを担当し、退社後、『天外魔境II 卍MARU』にて本格的にゲーム制作に参加。その後も、『リンダキューブ』、『俺の屍を越えてゆけ』などの個性的なタイトルをつぎつぎと発表。直近では、『桃太郎電鉄』最新作の開発にも参加している。

富沢氏:
 ええ、そう言われたらもう賛成するしかありません(笑)。

宮岡氏:
 それと同時に、レンタルタンクの仕組みがあれば、プレイヤーは安心して無茶ができるようになるんですよ。ウォンテッドのモンスターと戦って全滅するリスクが致命的なものにはならないって保証されるから。
 それどころか、どうせ死ぬなら最初からレンタルタンクでウォンテッドと戦えば、リスクなんかないに等しくなる。つまり、「遊びかたの幅が拡がる」と直感したんだ。

富沢氏:
 実際、わたしもプレイヤーとして『メタルマックス』を遊ぶときには、レンタルタンクを借りまくりました。

宮岡氏:
 レンタルタンクにはもうひとつ利点があって、普通のプレイヤーなら絶対に作らない変な戦車を“既製品”として見せられるんですよ。
 武器など積まずにひたすらSP(耐久値のようなもの)を増やした回収専用の“防御型戦車”とかね。

 それが発展して、『メタルマックス3』以後のレンタルタンクは、「こんな無茶なカスタマイズもできるぜ!」という見本展示場みたいな役割も果たしてくれた。
 装備や性能の意外な組み合わせを見せることで、たとえばドリルだらけの戦車でプレイヤーを笑わせることもできるし、戦車をカスタマイズするときに「こんな考えかたもあるよ?」と“デッキ構築のヒント”を提示することができるから。

富沢氏:
 もうひとつ。これも『メタルマックス』を遊んだ人が最初にびっくりするところだったと思うんですが、主人公が、とうちゃんと会話して“引退”を選ぶと、いつでもエンディングに行けてしまうじゃないですか。これもかなり掟破りのアイデアで、堀井流とはかけ離れた部分だと思うのですが……。

宮岡氏:
 『メタルマックス』はね、大雑把に言えば敵を倒す、あるいは逃げ出すことさえできれば、先へ進んで行けるゲームにしたかったのね。

 「強くなれ。力こそすべての世界だから」というのをモットーにして、成長するというその一点にプレーヤーの気持ちを集中させたいと思っていた。

 ファンタジーにありがちな“神様のお導き”が存在しない世界を表現したかったからね。
 そういう考えの延長線上に引退がある。

富沢氏:
 強くなる自由があるけど、やめる自由もある。

宮岡氏:
 そう。『メタルマックス』の主人公は“運命(さだめ)”に導かれた勇者ではない、ということ。高貴な血筋を引く若者が、下々の世界を流浪しつつ英雄になっていくという貴種漂流譚は、古くからいろいろな物語の中で語られてきたパターンのひとつなんだけど、『ドラクエ』以前からぼく個人としては、ずっとその貴種漂流譚の“貴種”の部分に引っかかりのようなものがあった。

 たとえば『スター・ウォーズ』でも、普通の若者に見えていたルークがじつはジェダイの血筋を引く存在であって、ダース・ベイダーと血族だったっていう話になるでしょう?

 「彼がヒーローになるのは彼がヒーローの血筋だから」という背景説明が、ぼくにはどうにも“つまらない”ように感じられて。

富沢氏:
 近年に公開された新作では、そのへんの設定でいろいろと物議を醸しましたね。

宮岡氏:
 高貴な血筋などひとかけらも入っていない、そこらの修理屋のバカ息子が、たいした覚悟もないままに世界を救う。「だから面白いんじゃないの?」と。

 主人公はただの普通の人だから、ふとしたはずみでモンスターを倒すのに嫌気がさして、引退したくなっちゃうかもしれない。
 でも、引退するときだってたいした決意があるわけではなくて、平穏な暮らしに飽きたらまたハンターに戻ったりするかもしれない。

富沢氏:
 それはゲームを遊んでいるプレイヤー自身と重なる気分ですね。

宮岡氏:
 「『メタルマックス』はRPGだけれども、ロールプレイする必要はない。なぜなら、このゲームの主人公はあなた自身だから」。ぼくはそういう思いを込めて“引退”という仕組みを作ったんです。

富沢氏:
 ハマる人がとことんハマるのは、「他人の話じゃない、自分の話だから」という、『メタルマックス』の魅力の根底が理解できるひと言ですね。

発明だった『メタルマックス』の世界設定

富沢氏:
 背景つながりで『メタルマックス』の世界設定に関してお訊ねします。宮岡さんはミステリやハードボイルドがお好きですし、そういう趣味が『メタルマックス』にも反映されていますよね?

田内氏:
 ハードボイルドもそうですが、わたしは「西部劇のイメージをゲームに持ち込んだ」というのが斬新に感じられました。

富沢氏:
 それもありますね。ほかにも『マッドマックス』であるとか『北斗の拳』であるとか、あるいは戦車に乗るということでミリタリー的なものへの興味もあるでしょうし、そういう宮岡さんの嗜好をお訊きしたいのですが。

宮岡氏:
 中学、高校のころはSFマニアだったんですよ。なかでも破滅系のSFが好きだったので。

富沢氏:
 具体的にはどういった作品でしょう?

宮岡氏:
 破滅系といってもいろいろあるんだけど、たとえば『渚にて』【※】は、初めてちゃんと滅んでいる作品なんだよね。

※渚にて……ネビル・シュートによって1957年に書かれた小説。第三次世界大戦後、核の被害によって北半球が壊滅しているところから物語が始まる。放射性物質が徐々に南下してゆく地球で、わずかに生き残った人々が死を迎えるまでの心の変化を描いた。画像は『渚にて―人類最後の日』 (創元SF文庫) 書影

富沢氏:
 そうでした。「人類が滅ぶのをいかにして食い止めるか」という小説はよくありますが、『渚にて』は、ほぼ破滅しているところから始まりますね。

宮岡氏:
 だから……なんていうんですかね。SFマニアで、ファンタジーじゃない世界で、何をどう設定すればRPGの舞台が作れるのか。
 いずれにせよ敵は出てくるわけじゃない? モンスターをどうやって出すの? ファンタジーであれば、モンスターがいて、いろいろな種族がいて、というのも全然問題ないけど、SFでモンスターを出すとすればどう理屈をつけるのか。それで“ノア”というものを思いついたわけですよ。

富沢氏:
 はい、ラスボスとなる人工頭脳のノア。

宮岡氏:
 「人工頭脳が人類に叛乱を起こして、人類を抹殺するためにモンスターを作った」。

 そういう設定を思いついて、「おお、これならイケるわ!」という感じだったんですよ。
 SFでも、宇宙から異星人がやってくるというのはあったけど、地球上に敵がいて、あとからあとからモンスターが湧いてくるということにそれなりの理屈をつけたのが、自分としてはいちばんの発明だったと思いますよ。

富沢氏:
 『ターミネーター』とも違う解釈で。

宮岡氏:
 まあ、コンピューターの叛乱はそれ以前からSFのテーマとしてある。たとえば『コロッサス』(デニス・ジョーンズ)とか『巨人頭脳』(ハインリヒ・ハウザー)とか、そういうSF小説は読んでいたの。そこまでは昔からある話だったんだけど、「そいつがモンスターを作った」という設定が、自分としては「発明だったのではないかな」と。

富沢氏:
 『メタルマックス』というタイトルからの印象もあると思うんですが、『マッドマックス』からの影響を指摘されることも多いと思います。そのあたりについて真相をお訊ねさせてください。

宮岡氏:
 まず『マッドマックス』の生んだもののひとつに、『北斗の拳』があるでしょう。『メタルマックス』の場合は、どちらかというと直接的な影響を受けたのは『北斗の拳』のほうからなんだよね。悪党のありかたも、『マッドマックス』から『北斗の拳』が影響を受けて、そこから『メタルマックス』にきている。

 たとえば『メタルマックス2』でいうところのバイアスグラップラーみたいな悪党集団も、四天王がろくでもないチンピラどもを集めて組織を作っているというのは『北斗の拳』であり、さらにルーツを遡れば『マッドマックス』的なものだと言えるよね。

富沢氏:
 そういえばファミコン神拳は、『北斗の拳』のイメージを借りたものでしたっけね。

宮岡氏:
 そう。「あたたたたた!」だからね(笑)。

 『マッドマックス』って、破滅した未来を舞台に西部劇を再創造した映画なわけでしょう。

 西部劇では登場人物が乗る馬は、どこにでもいる普通の馬がほとんどなわけだけど、『マッドマックス』では馬の代役として登場するクルマやバイクが、キャラクターの内面や狂暴性を象徴するデザインになっていた。

 再創造でありながら、その部分は完全に西部劇を超えちゃっているわけ。
 そうした、「クルマをキャラの一部にしてしまう」というところはあの映画の発明で、「ロボットではなく、戦車に乗ってもゲームになる」と思えたのは、あの映画のおかげかもしれない。

田内氏:
 当初の『メタルマックス』はボードゲームを想定していたということですけど、そこからRPGに変わって、すぐに企画書はできたんですか?

宮岡氏:
 いやあ、あまり覚えていないんだけど……、ただ『メタルマックス』に関しては、システムがわりとスーッと出てきたんだよ。「世界が滅びて、ノアがモンスターを生み出した」という設定を最初に思いついてからは早かった。
 それまでは「どうやってモンスターを出すんだよ?」というのがいちばんの悩みどころだったから。

富沢氏:
 『メタルマックス』が形になる前の宮岡さんは、どういうゲームにしようかと苦しんでいましたよね。でも「やっぱRPGでいいよね」と開き直ってからの解放された感じはよく覚えています。そこからの宮岡さんは速かった。「さすがはロト三部作に関わってきただけあるな」と(笑)。

田内氏:
 “ウォンテッドモンスター”というアイデアも最初の企画書に書いてありましたよね。

宮岡氏:
 うん。あれはまあ西部劇だから。だから「ノアというコンピューターがモンスターを生み出す」とともにあったもうひとつの発明として、「モンスターは邪魔じゃなくて獲物だ」ということがある。

富沢氏:
 「プレイヤーの障害物ではなくて、獲物なのだ」と。

宮岡氏:
 そう、そのふたつを思いついたことは、RPGという遊びの仕組みを我ながらよく理解していたもんだなと思うよ(笑)。

 『メタルマックス』を作ったころは、世の中にそんなゲームはなかったんだけど、いまはそういうゲームがずいぶん増えたしね。

富沢氏:
 わたしも企画メンバーだったので自画自賛になってしまいますが、あの指名手配ポスターは秀逸だったと思います。「たとえ容量を食ったとしても、ちゃんとポスターの絵を見せたい」という話をしていましたよね。

宮岡氏:
 そうすることで、敵が話を進めるうえでの障害物じゃなく、もうその敵を倒すこと自体が目的になるからね。

田内氏:
 当時、宮岡さんがフリーシナリオと称して、「お使い的な話じゃなくて、世界中を必須アイテムなしで自由に歩き回れるようにしたい」と言っていたのもよく覚えています。

宮岡氏:
 クリア必須アイテムというのは、おれが嫌いだったんだよ。

富沢氏:
 そうなんですか(笑)。

宮岡氏:
 「とっくにその先のモンスターが倒せるくらい強くなっているのに、なんでこんなことしなきゃいけないんだ?」みたいなね。
 それからあるゲームでは、星座とかを組み合わせてガチャガチャガチャっと回すと、封印された扉がパカッと開いて……とかさ、「謎解きがやりたいなら、そういうゲームをやればいいんだから。おれにやらすな、こんなこと!」って。わははは。

田内氏:
 『メタルマックス』で発明だと思ったのは、パスワードロックです。

 1周目はパスワードなんかわかるわけないから「パスワードのメモ」というアイテムを見つけないとクリアできないんだけど、2周目、3周目をプレイするときはパスワードをもう知っているから、アイテム探しなんていう、まだるっこいことをしなくていい。

富沢氏:
 パスワードはランダム生成じゃなくて固定だし、“メモ”を入手するイベントの通過フラグもないですからね。『ドラクエ』の“ぎんのかぎ”や“きんのかぎ”とは性質が全然違うものです。

田内氏:
 あのころに、もしインターネットとWikipediaがあったら、絶対にパスワードが拡散されてすぐにクリアされちゃう。

富沢氏:
 フリーシナリオにすることに不安はありませんでしたか? 「ゲームバランスが壊れるんじゃないか」とか。

宮岡氏:
 いや、それはあまりなかった。もともとウォンテッドというシステムがバランスブレーカーとして存在しているゲームだからね。
 そのかわり、「いくら死んでもノーペナルティである」という作りになっている。

富沢氏:
 ああ、なるほど。

宮岡氏:
 要は「死んでくれ」と言ってるわけです。

 恐ろしい敵と出会ってあっさり殺されたら、それがリベンジリストに載るわけでしょ。

富沢氏:
 「いつか殺すリスト」に。

宮岡氏:
 プレイヤーは「そのために強くなろう」と思うんで。だからお仕着せのお話のために用意されたフラグを立てていくというゲームじゃなく、動機も“プレイヤーの中に求めていく”という作りなんだよね。

田内氏:
 とみさわさんがみんなの前でテストプレイしていたときの様子で、忘れられないことがありますよ。

富沢氏:
 え、それはどんな?

田内氏:
 ある洞窟の中に埋まっているタイガー戦車を探すイベントだったんですけど、バギーか何かでそこまで行って、金属探知機で戦車が埋まってる座標を特定するわけです。
 それで「さあ戦車に乗り換えるぞ」とバギーから降りた瞬間に、レーザーミミズの大群にエンカウントして瞬殺されたんです。

宮岡氏:
 わははは、あったあった。

田内氏:
 レーザーミミズはクルマに乗っていないと戦えないような強さだから。

富沢氏:
 それは「いつか殺すリスト」に入れたくなります。そして、そういう無茶なゲームバランスを良しとするのが『メタルマックス』だったということですね。

 でも、「そこまでやるとプレイヤーが不快に思うのではないか?」とか、「ここまでなら大丈夫かな?」だとか、そういう匙加減の判断は、どういう風にしていたのでしょう。

宮岡氏:
 いや、そういうところに不快感を感じるお客さんのためのゲームじゃないんですよ。そういうことは『ドラクエ』に任せておけばいい。ぼくが目指したのは、『ドラクエ』じゃ物足りないと感じる人、「『ドラクエ』は面白いけど、もっと違うことをやらせろ」というようなプレイヤーの要望を拾うことだったんです。

富沢氏:
 わたしは『メタルマックス』のスタッフでありながら、どちらかといえば『ドラクエ』大好き側だったから、けっこう宮岡さんと対立しましたよね。

宮岡氏:
 まあね。不等号記号でいうと、過激な順に……桝田省治>宮岡寛>とみさわ昭仁という感じで、桝田くんが無茶な仕様を出してくるから、おれがそのダメージを半分にして、とみさわくんはそこからさらに減らせと要求してくる、という。

富沢氏:
 わはははは!

宮岡氏:
 あれは面白い図式だったよね。

富沢氏:
 そういうフリーシナリオ的なシステムについて、田内くんはどう思っていました?

田内氏:
 わたしも『ドラクエ』が好きで、RPGが作りたくてこの業界に入ってきたので、もうRPGを作っていられること自体にずーっとアドレナリンが出ているんですよ。

 それで、わたしはデーターイースト側として会議に参加させてもらい、宮岡さん、桝田さん、とみさわさんといった人たちと会議で話しながら、「アーデモナイ、コーデモナイ」と言えることが嬉しくて。完成したゲームがどうなるかよりも、ゲームを作っているその瞬間が楽しかったです。

富沢氏:
 それはよくわかります。わたしもそうでした。ゲームを遊んでいるより、作っている時間のほうが楽しかった。

田内氏:
 ほかに覚えているのは、最初の企画書では戦闘コマンドのパネルが「しゅほう」と平仮名で書いてあったんですよ。わたしはプログラマーなのになぜかパネルのデザインをすることになって、平仮名ではかっこ悪いから漢字に作り直して提出したら、宮岡さんに気に入ってもらって、すごい嬉しかったんです。

宮岡氏:
 ファミコンでは漢字が使えないという先入観があるから、企画書上ではこうなっているけど、プログラマーが意地を張って変えてくるわけじゃない?

 最初の『ドラクエ』のときも、堀井さんはキャラクタースクロールでいいって言ってたんだよ。画面が16ドット単位でズレていく方式ね。

富沢氏:
 ああ、初期のパソコンのRPGなどは、みんなそうでしたね。

宮岡氏:
 でも、中村くんは「絶対にドットスクロールじゃないと嫌だ」と言って、滑らかにスクロールするように作ってくれたんだ。だから、異質な美意識と美意識の出会いというか、そういうものがないと、すごいゲームは生まれない、ということですよ。

『メタルマックス』の参加クリエイターたち

富沢氏:
 わたしは宮岡さんに誘っていただいて、流されるようにチーム入りをしたから、そもそもの経緯をよく知らないんですが、『メタルマックス』って、まずは宮岡さんが企画を立てて、それをデータイーストに持ち込んだということでいいんですか?

宮岡氏:
 そうね。ただ、その前にI&Sという広告代理店があって。あのころ、彼らがやっていた商売というのは、ゲームデザイナーを用意して「ゲームを作ってあげますよ。そのかわり広告はうちでやらせてください」というのをゲーム会社に持ちかける、というビジネスモデルだったんですよ。

 だから、もしデータイーストが「プログラマーも連れてきてくれ」と言っていたら、プログラマーも外部から探してくることになっていたと思う。でも、そうではなくて「企画だけを外部から連れてくる」という話だったからね。

富沢氏:
 音楽とキャラクターデザインも外部スタッフでした。

宮岡氏:
 そう、ぼくがわがままを言って音楽には門倉聡【※】さんを連れてきちゃった。

※門倉聡
1959年生まれ。作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。Wink、工藤静香、サザンオールスターズ、徳永英明など数多くのアーティストを手がける一方で、テレビドラマやアニメ、ゲームでも楽曲提供するなど、幅広く活動している。

田内氏:
 そこは最初は社内でも反発があったみたいですよ。データイーストにはゲーマデリックという音楽チームがいたので。

富沢氏:
 あのころは、ゲームメーカー各社がサウンドチームを売り出していましたね。

田内氏:
 でも、門倉さんが書いてきた曲を聴いて、納得してくれたみたいです。

富沢氏:
 ははは。それは『ドラクエ』でも同じようなエピソードがありましたね。しかし、社内のサウンドチームにもそれなりのプライドはあったでしょうから、辛いところですよね。

田内氏:
 ゲーム音楽って、普通の音楽と違って制限が多いじゃないですか。とくにファミコンだとさらに制限は多くなります。

 その制限下で「普通の作曲屋さんには曲なんか書けるわけない」という考えがゲーム音楽家にはあったんでしょう。
 でも、それを門倉さんはサラッとやってのけて、しかも曲がかっこよかった。

富沢氏:
 あの当時、門倉さんはファミコンで音楽を作るなんて初めてだったんですよね?

宮岡氏:
 いや、じつは『ルーンマスター』で一緒に仕事をしている。あのころは『ドラクエ』の音楽をすぎやまこういちさんがやって大当たりしたから、音楽業界の人たちがゲームに魅力を感じていたのね。
 それで藤井さんという音楽プロデューサーが5人くらいの名前を挙げて、「自分ならこの人たちを紹介できるので、使いたい人を決めてください」と言ってきた。その中のひとりが門倉さんだったったの。

 『ルーンマスター』では交響楽っぽいことがやりたかったから、その分野が得意な門倉さんにお願いしたんだけど、『メタルマックス』ではロックやジャズも難なくこなしていただいて、本当にすばらしい人と巡り会えたと思いますよ。

田内氏:
 ウォンテッドの曲は衝撃的でしたもんね。

宮岡氏:
 門倉さんから「ロックといっても、どういうのをやりたいんですか?」って訊かれて、それでビョークのなんていう曲だったか……重いビートの曲だったんだけど、それを提案して「ああ、こういうのね!」みたいな話をしたっけな。

富沢氏:
 門倉さんとは、その後もずっとシリーズを通してのお付き合いになりますね。
 では、もうおひと方、山本貴嗣さんも『メタルマックス』を語るうえでは欠かせない存在です。山本さんを『メタルマックス』のキャラクターデザインに起用された経緯を、あらためて教えていただけますか。

宮岡氏:
 それはまあ、メカを描くのが得意だったからかな。あのね、彼は高橋留美子さんのアシスタントをやっていたんだけど、そのころからメカが得意で、たとえばラムちゃんの宇宙船なんかは山本貴嗣が描いてるんですよ。

富沢氏:
 そうだったんですか!

宮岡氏:
 宇宙船やロボットなど、とにかくメカを描くのが巧くて、そういう才能があることは重々承知していて、さらにモンスターも描けるし、結局あいつはなんでも描けるんですよ。

富沢氏:
 そうですね。セクシーなおねえさんも抜群です。

宮岡氏:
 それで、単純に言うと……人工頭脳が作るモンスターなんて、アイデアの参考になるようなものがどこにもない。まあ『ドラクエ』みたいな話ならね、『D&D』【※】のガイドブックとかを持ってくれば、だいたいのことは判るわけで。

※D&D……正式名は『ダンジョンズ&ドラゴンズ』。1974年にアメリカTactical Studies Rules社より発売された、世界初のテーブルトークRPG。剣と魔法の世界をベースにした世界初のRPGで、さまざまなファンタジー作品やRPGの原点となっている。

富沢氏:
 そうですね。オークだ、トロールだ、ドラゴンだ、とファンタジーに定番のモンスターはひととおり出てきます。

宮岡氏:
 だけど「『メタルマックス』の設定に合うモンスターを描いてくれそうな絵描きさんは誰だ?」って考えたときに誰も思いつかなくて、しばらく悩んだすえに「……あ、山本貴嗣がおるやんけ!」と。

富沢氏:
 すごく近いところにいた。

宮岡氏:
 そこに気がついてみると、これはもう貴嗣のために作ったような設定だったなと。それでこの話を持ちかけてみたら、本人も「よし、やろう!」ということになってね。

富沢氏:
 モンスターの中で印象深いものってあります?

宮岡氏:
 まあ、ノアはやっぱりびっくりしたよね。

富沢氏:
 宮岡さんもそこそこ絵心があるじゃないですか。企画側から山本貴嗣さんへイメージを伝えるためにモンスターのラフを出すわけですけど、宮岡さんが描いてくるスケッチは、やけに巧かった覚えがありますよ。

宮岡氏:
 そうは言っても、やっぱり貴嗣のほうが格段に上だし、それに彼は戦車も巧いからね。

田内氏:
 山本先生がすばらしくかっこいいメカドラゴンの絵を何パターンかサンプルで描いてきて、でも宮岡さんが「竜は出さないから」と言って、全ボツにしたのを覚えていますよ。

宮岡氏:
 わはははは!

富沢氏:
 「竜退治はもうあきた。」ということになっていますからねえ(笑)。

宮岡氏:
 彼の描く絵は、理屈が通ってるところがすごいんだよね。内部構造まで考えて作っているから。

 たとえゲームには出てこなくても、「緊急時にはここがこのように変形して……」とかちゃんと描いてある。

田内氏:
 『ワイルドアイズ』【※】のときにはそれがすごい加速していましたね。

※『メタルマックス ワイルドアイズ』
……1998~2000年ごろにセガ・ドリームキャスト用として制作していた『メタルマックス』の新作。残念ながら開発中止となり、陽の目を見ることはなかった。

富沢氏:
 ああそうか、シリーズ初の3Dポリゴンになるはずだったから。

田内氏:
 三面図だけならまだしも、内部機構の図解まで描いていましたからね。

富沢氏:
 それで疲弊しちゃったんでしょうか、それ以降、山本さんは『メタルマックス』から少し距離を置くようになるでしょう?

宮岡氏:
 それだけじゃなくて、彼のゲーム仕事が立て続けに中止になったんだよ。豊臣秀吉……だったかな? 彼が戦国武将のイラストを100枚くらい描いたんだけど、それもポシャっちゃって。

富沢氏:
 それは『メタルマックス』ではなくて、別の企画で?

宮岡氏:
 うん。そういうことが続いたから、彼としてはだいぶトーンダウンしたんだな。

 これがマンガだったら、どんなに人気が出なくても描いたものは出版されるし、形として残るんだけど、ゲームの場合は、たとえ数百枚もの絵を描いたとしても、そのゲームが発売されなければ、絵描きがやった仕事は誰の目にも触れない。

富沢氏:
 そうか……当時はマンガだったらボツになった原稿はコミケにでも出せば人の目に触れさせることができますが、ゲームのために描いたものはそういうわけにいかないですもんね。

宮岡氏:
 そう。権利の問題もあるからね。

富沢氏:
 それでも山本さんは、以降も『メタルマックス』シリーズから完全に手を引くわけではなく、なんらかの形で関わっています。

田内氏:
 完全に関わっていないタイトルというのはないんじゃないですか。『メタルマックス3』ではウォンテッドモンスターを描いてるし、『メタルマックス4 月光のディーヴァ』でもキャラデザをしてくださってます。

 『メタルマックス2:リローデッド』でも、新規追加のモンスターなどは山本先生です。

富沢氏:
 そこはやはり、宮岡さんとの友情というか、絆みたいなものなんですかね?

宮岡氏:
 まあ、彼としても思い入れはあると思うんですよ。初めてのゲームの仕事だったし、マンガの読者とは違うところからファンがついてくれたというのもあっただろうし。

富沢氏:
 ゲームが新しい山本貴嗣ファンを開拓してくれた、ということですね。

宮岡氏:
 それに、彼としてもメカとかモンスターというのは得意ジャンルだから、やり残したことはまだまだあるんじゃないのかな。

 モンスターを描ける絵描きというのは、意外といないもんなんですよ。
 さっきも言ったけど、どこかにモデルがあるようなものは見よう見まねで描けるんだけど、どこにもないものを生み出せる人は、滅多にいない。

富沢氏:
 そういうもんですか。

宮岡氏:
 なぜ山本貴嗣にはそれができるのかというと、理屈が伴っているから。

富沢氏:
 なるほどなあ……。さて、すでに名前も出てきていましたが、桝田省治さんについても少し聞かせてください。先ほど名前の出たI&Sという広告代理店で、宣伝担当というか、プロデューサーだったはずのあの方が、いつのまにか開発スタッフとして加わることになった経緯などを。

宮岡氏:
 最初はプロデューサーとして開発資金のやりくりを見てくれていたんだけど、それよりは「『メタルマックス』がゲームとしてモノになるか?」、言い換えると“論理バグを正す役割り”とでもいうのかな、そっちへシフトしていった。

 結局、おれたちライターがゲームを作ってるわけじゃない? そうすると堀井さんはプログラムができる人だったけど、普通に考えてライターが作った企画なんてのは、穴だらけなんですよ(笑)。

富沢氏:
 ああ、設定やシナリオ上に矛盾点が。

宮岡氏:
 それもあるし、あるいは「仕様書にこう書いてあるけど、それをどうやってゲームに落とし込むつもりなんですか?」みたいなところね。

富沢氏:
 プログラムを知らない物書きは、実現不可能な妄想を書いてしまうんですよね(笑)。
 そういう意味で、宮岡さんよりさらにプログラミングのことなどわからなかったわたしは、桝田さんが企画に参加してくれたことは少しも嫌じゃなかったし、むしろ頼もしかったんですよ。だってちょっと会話してみれば、頭の回転がメチャメチャ速い人だというのはすぐにわかりましたからね。

宮岡氏:
 ふははは。

富沢氏:
 それと、キム皇さん(きむらはじめ氏)が『ジャングルウォーズ』【※】のために途中で抜けてしまったので、その穴を埋める必要もありました。そこで代わりに入ってきた桝田さんが、とんでもなく仕事の速い人じゃないですか。

※ジャングルウォーズ……1991年にポニーキャニオンより発売された、ゲームボーイ用RPG。キム皇氏がシナリオ、ゲームデザインを担当。監修はさくまあきら氏。1993年に発売されたスーパーファミコン用の続編もある。

宮岡氏:
 うん、速いね。

富沢氏:
 わたしからすれば宮岡さんも仕事は速いんですけど、桝田さんはそれに輪をかけて速かったんです。(仕様書のファイルをめくりながら)このへんのヤミクモ博士の会話フローチャートとか、桝田さんの担当でしたよね。

田内氏:
 レーザーバズーカの仕組みも桝田さん?

宮岡氏:
 たぶんそう。フローを描いたのは彼だったね。

富沢氏:
 広告会社に勤務していた桝田さんは、誰からこういうことを習ったんですかね?

宮岡氏:
 それはわからないけど、彼は『メタルマックス』をやる前に『天外魔境』をやっているからね。

 それで、どう言えばいいのか……プロジェクトがニッチもサッチもいかなくなったときにそれをうまく解決してみせて、「やるじゃん!」という存在になっていたらしいですよ。

 しかもただ優秀ってだけじゃなく、自分が作り出すものの中にいろいろな毒を含ませることができる、というすごい能力を持っている。イカれた悪役のセリフを書かせたら日本一かもしれないよ、あの人は。

堀井流を受け継いだパラメーターの仕組み

富沢氏:
 このショップの仕様書は宮岡さんが書かれたものですが、この会話フローの書きかたなどは完全に堀井流ですよね。

宮岡氏:
 ショップに限らないけど、フローチャートが書けない人はゲームデザイナーになれないんですよ。

富沢氏:
 そうですね。ぼくは『ルーンマスター』のお手伝いをしていたときに、宮岡さんからそれを叩き込まれました。

田内氏:
 いろいろ預かってくれるトランクルームとか、分岐の数がバカみたいに多くて最悪ですよ。あれのフローを書くとか、いちばんやりたくない仕事。

富沢氏:
 田内くんはプログラマー出身なのに何を言ってんですか(笑)。宮岡さんご自身は、こういう戦闘の計算式などは『ドラクエ』の仕事から学んだのだと思いますが、それはすんなりと『メタルマックス』に活かせましたか?

宮岡氏:
 いや、むしろ『メタルマックス』は『ドラクエ』より複雑なことをやっていますよ。

 それはなぜかというと、クルマに乗るというシステムのせいで、運転レベルや装甲タイルなど、さまざまな要因が絡んでくるからです。
 その結果、どうしても『ドラクエ』より複雑な計算式になる。その計算式を組んだのは彼(田内氏)なんだけどね。

 最初の計算式ができたあと、一度決まったパラメーターの「これをいじったらもっとこうなるだろう……」というふうに進化していくという作りかたなんですよ。

 だから、ぼくも『ドラクエ』のデータを作らせてもらったときに、たとえばプログラムが参照するためのテーブルデータというものがあるんだけど、モンスターのデータ構造を見て「おれだったら、ここにこれを足すかな」なんてことを考えて、計算式の作りかたを学んでいった。

富沢氏:
 『メタルマックス』の仕様書を見ると、モンスター1体でもパラメーターがすごく多いんですけど、『ドラクエ』はこんなに多くはない?

宮岡氏:
 いや、ぼくがやっていたのは『ドラクエIII』までだからそう多くはなかったけど、いまはきっとこんなもんじゃ済まないでしょう。

富沢氏:
 あちらはあちらで、すごい進化を遂げていますからね。

宮岡氏:
 いまはAIなどの絡みもあるから、どうしたって複雑にならざるを得ないね。

富沢氏:
 以前、『ポケモン』の田尻智さんが「『ドラクエ』はモンスターの並び(組み合わせ)が美しい」という話をされていました。

宮岡氏:
 それはモンスター出現の組み合わせをパラメーターで生成・管理していますから。
 同じことは『メタルマックス』でもやっています。“特殊パーティーデータ”というものがあって、意図的に「こういう組み合わせで配置して」、「こいつはこのくらいの確率で出現させて」ということを全部データ化している。

富沢氏:
 ただのランダムではないんですね。

宮岡氏:
 あのころの『ドラクエ』のデータは、最後に堀井さんが全部手を入れている。
 だから、あのバランスはやはり堀井さんの感覚の鋭さだと思うんですよ。

富沢氏:
 そのあたりは、なかなか言語化されない部分ですね。

宮岡氏:
 単純に言うと、「ここのダンジョンで何回戦わせるか」とか。たとえば3層のダンジョンを作ったとしたら、「1フロアでどれくらい戦わせるか? 10回じゃ少ない。でも100回は多い。それで50回くらいがちょうどいいんじゃないか」と決定したとする。

 そうすると、1%の確率に設定したアクションというのは、戦闘を50回繰り返しても確率上は発生しないことも多いんです。「だったら2%にしてみよう」とか、「6%にすれば3回は発生するぞ」とか。そういうことを読み切るのが、堀井さんの上手さだと思うんですよ。

富沢氏:
 ははあ……。

宮岡氏:
 そこで、「どれくらい戦わせるから、確率を最低でもこれくらいにしなければプレイヤーの目に触れない」とか、そういうことをあの人は計算して作るんだよ。そこはやはりすごいと思うよ。「なぜ2%ではなくて6%なのか?」というようなところにも、単なる確率でなく、ちゃんとした裏付けがあるんだね。

富沢氏:
 脳内でちゃんとシミュレートできているんですね。

宮岡氏:
 「1000回戦ったら1レベル上がる」というイメージがあったとすれば、「そのあいだにコイツと何回戦うだろう? そうしたらモンスターがレアな宝箱をドロップする確率をこれくらいにしなければいけない」ということが導き出される。

富沢氏:
 モンスターがくれる経験値もそうですね。とくに序盤で出現するやつは、経験値が1多いか少ないかだけで、序盤の印象はガラリと変わってしまいます。

宮岡氏:
 そういうことですね。

富沢氏:
 それから、この『メタルマックス』の仕様書の束は、当時わたしも見ていますし、なんなら自分で書いたものもたくさんあるので当たり前のこととして見落としがちですが、方眼紙にシャーペンでほぼ全部手書きなんですよね。この方眼紙はもともと堀井さんが愛用されていて、それを宮岡さんが受け継いだそうですが。

宮岡氏:
 そうそう。市販のプロジェクトペーパーというやつね。

 さすがにいまはもう使っていないけど、たぶんあのころにまとめ買いしたやつの残りが、家を探せばあると思うよ。

富沢氏:
 わたしも宮岡さんから受け継いで、ずいぶん長いこと愛用していました。あの、話がちょっとズレますが、Excelを方眼紙のように使うことを嫌う人が、おもにプログラマーに多いんですけど、宮岡さんって使っています?

宮岡氏:
 使うね。Excel方眼紙で絵を描いたりするからね。

富沢氏:
 そうですか。ぼくもExcel方眼紙には何も悪いイメージがなくて、それはあのプロジェクトペーパーを使っていたことの名残りなのかなあという気がするんですよ。

宮岡氏:
 あっはっは。なるほどね。

富沢氏:
 あれをすごく便利なものとして使っていたから、Excelと出会ったときに「ああ、これだ!」って(笑)。

 でも、田内くんみたいにプログラマーもやっていた立場からすると、Excelを方眼紙のように使われるのはやっぱり嫌でしょう?

田内氏:
 わたし、企画書を書くときはExcelですよ。なんか、いちばん書きやすいです。

富沢氏:
 そうなのか(笑)。

宮岡氏:
 まあExcelは日本語を扱うのが得意じゃないんだよね。そのせいでリストが崩れたりするし、文字化けするし、嫌う人は嫌うよね。

田内氏:
 オートシェイプはすばらしいですよ。図形を画面に貼り付けられて、それを矢印でジョイントできるから、フローチャートを書くのもすごいラク。

 あと、マップは図形で描いて、その上に人間とかはオートシェイプで乗せるとか。で、それに吹き出しや注意書きも付けられるから、意外とマップを書くのには適してると思います。

宮岡氏:
 ただまあ、いまはゲームの主流が3Dになったから、そんなやりかたで仕様書を書くのは難しくなってきているけどね。

売れなくとも玄人筋からの評価は高かった

富沢氏:
 話を少し戻します。宮岡さんとしては、『メタルマックス』の1作目が完成したとき(1991年)に、どれくらい売れると思いました?

宮岡氏:
 開発中は100万本売るつもりで作っていたけど、あのころって、もうファミコンが終わっていたんですよ。

富沢氏:
 ああ、そうでした。

宮岡氏:
 もうスーパーファミコンが発売(1990年)されて、ファミコンソフトはほとんど売れなくなっていた。

 そんなことを聞かされていたから、まあ「あんまり売れないだろうな」と覚悟はしていたけど、それでも「10万本はいくだろう」と思っていたの。結局、そこには届かなかったんだけどね。

田内氏:
 最初の出荷って、どれくらいだったんですか?

宮岡氏:
 えーと……5万本くらいじゃなかったかな。それでちょっと追加生産があって、最終的には7~8万本だったと思います。

富沢氏:
 ゲーム雑誌の評価もイマイチ振るわなかったんですよね。

宮岡氏:
 とはいえ、『ファミマガ』(ファミリーコンピュータMagazine)だったかな、システムデザイン賞とかいただいたりして、玄人受けはよかったんですよ。なんというか、メディア受けは。

田内氏:
 最初の『メタルマックス』にプレミアがついていたのを覚えてますよ。中古で10000円とか。

富沢氏:
 あ、それは知らなかった。

宮岡氏:
 だから、もうちょっと気張って初回生産の数を増やしておけば、もっと売れたんじゃないかなあ。

富沢氏:
 ですよねえ。でもデータイーストにそれだけの体力がなかっただろうし。結局、思い描いていたほど売れなかったわけですが、宮岡さんはどう受け止めたのでしょう?

宮岡氏:
 セールスはさておき、作品の評価としてはわりと受け入れられたのでね、「自分ではもうゲームが作れないかもしれない」と思っていたところからの再出発で、「おれにも作れたじゃん!」という喜びのほうが大きかった。

 売れはしなかったけど、自分としては形にできたことが何より嬉しかったんだ。

富沢氏:
 それから『メタルマックス2』に着手するのは何年後になります?

宮岡氏:
 2年後……くらいかな?

富沢氏:
 わたしは『メタルマックス』が終わったあと、縁あってゲームフリークに入社してしまったのでよく知らないのですが、『メタルマックス2』を作るときには、どういうことを考えました? 1作目の哲学のまま推し進めるのか、もっと売れそうな方向へシフトするのかなど。

宮岡氏:
 1作目が、期待したほど数が出なかったわけですよ。売れなければならないはずの企画だったのに、結果はあまりよくなかった。
 それでしばらくデータイーストさんから音沙汰がなかったんです。

 ところがゲームショウか何かに行ったときに、部長だった吉田(穂積)さんという人とたまたま会ったら、「『メタルマックス2』をやりましょう!」というような話が出てきて、それから急に作ることになったの。

 吉田部長が言うには、「あまり売れなかったけど、買った人たちの反響が凄い」と。「自分が担当したデータイーストのゲームで、あんなにアンケートハガキが返ってきたものはない。だから、これは続ければ売れるんじゃないかと思う」って。

富沢氏:
 吉田部長とはわたしも1作目の仕事のときにお会いしてますが、いかにも優しい吉田さんが言いそうなことです(笑)。

宮岡氏:
 それで「ぼくがプロジェクトを通すから、やってくれ」と言われて、それからですね。『メタルマックス2』が動き始めたのは。

田内氏:
 結局『メタルマックス2』を作っていたのは1年くらいでした。

富沢氏:
 そんな短時間で? いや、そのころの1年は短くないのか。

宮岡氏:
 『メタルマックス』のときに予想外に時間がかかってしまい、それも影響して売れなかったから、データイーストが学習して『2』では缶詰めにされました。

富沢氏:
 わははは。

宮岡氏:
 データイーストのタコ部屋に押込められて、見張りがひとりついてずーっと「よしよし、仕事しとるな」という感じですよ。

富沢氏:
 その見張りは中本【※】さん?

宮岡氏:
 うん。

※中本博通
データイーストの広報担当。『メタルマックス』ではレスキュー・レイダーズとしてクレジットされている。ハドソンの高橋名人が大ブレイクしたあとは、中本氏も“中本名人”として、ゲームメディアなどにたびたび登場した。

田内氏:
 1作目の開発が長引いた理由のひとつは、ROMの容量がオーバーしちゃったからですよ。それをどうするかという解決手段が「すべてのマップを小さくする」でした。

富沢氏:
 ああ、そうでしたっけ。わたしはそれ、覚えていないです。

田内氏:
 だから、お店の内部マップはみんな1画面以内に収められてるんですよ。宮岡さんが描いたマップの仕様を無視して、無駄な隙間を徹底的に詰めて、そうやって容量を減らす。

 データイーストのグラフィッカーさんが総出でマップを縮めていましたね。その作業だけで2~3ヵ月余計にかかって、その影響でトータル開発期間が2年を越えるくらいになっちゃった。

宮岡氏:
 まあ、でも『2』は……なんか思ったよりうまくいったよね。納期を決めて、きっちりその時間とおりに完成させて。でも、そのためにシナリオが半分くらい入っていない(笑)。桝田さんが書いた仮メッセージのまま、中ボスなどがセリフを喋っていたりするんだ。

田内氏:
 そのせいで、賞金首のブルフロッグはおかしなキャラクターになっちゃっているんですよ。

宮岡氏:
 それで、あるとき中本さんから「もうシナリオ書いても入れませんから、これ以上は書かないでください」と言われて、「マジかよ!」となった。

富沢氏:
 (笑)。『メタルマックス2』のセールスはどうだったんですか?

宮岡氏:
 20万本は越えました。25万本かな。

田内氏:
 わたし、会社から報奨金もらいましたよ。

宮岡氏:
 任天堂がやっていたスーパーマリオクラブ【※】だっけ? 問屋さんが仕入れる際の目安となる数値を“40万本”とか弾き出してくれて。データイーストに資金さえあれば40万本が売れたはずなんだよ。

 だけどまあ、その資金がなかったからさ。とりあえず10万本くらい作ったらすぐに捌けちゃって、それで何回か追加生産して、ようやく25万本まで到達したという。

田内氏:
 確か3日くらいで在庫切れを起こしたんです。

※スーパーマリオクラブ
任天堂プラットフォーム上で動くゲームのデバッグやモニターを行う、いわゆる品質管理のための組織。2009年に分社化し、マリオクラブ株式会社となっている。

富沢氏:
 そこは運命の分かれ道でしたね。会社が借金してでも最初から40万本を……と思うけど、億単位のお金だから簡単にはいかないだろうし。

宮岡氏:
 そう、「40万本分のお金を銀行から借りたら、どれだけ利息かかるんだ」という話だからね。

富沢氏:
 そこを一介のクリエイターが「大丈夫ですよ!」とは言えません。

宮岡氏:
 おれが背負うわけにはいかないからねえ(笑)。

『ワイルドアイズ』の失敗と17年間の空白

富沢氏:
 さて、『メタルマックス』シリーズにはリメイク作品や『メタルサーガ』といったスピンアウト的なシリーズもありますが、そのあたりは今回のインタビューでは除外させていただきます。
 そしてメインシリーズで言うと、1993年に『メタルマックス2』を発表したあと、その正統な続編となる『メタルマックス3』が、2010年にニンテンドーDSで出ました。

田内氏:
 あっというまに17年経っちゃった。

富沢氏:
 17年は長いなあ……。あの、そのあいだに『メタルマックス ワイルドアイズ』(以下、『ワイルドアイズ』)を作っていたのは、ファンの方ならご存知だと思います。あれは何年ごろでしたっけ?

宮岡氏:
 1998年にはもうプロジェクトが立ち上がっているね。

富沢氏:
 その『ワイルドアイズ』は、最初は『メタルマックス3』として開発が始まったものでしたよね?

宮岡氏:
 そのときはプレイステーション用として開発をスタートしたんだけど、いろいろあってプロジェクトが中止になったんだ。それから新たに仕切り直して始めたときの名前が『HEART OF GOLD』で、それが『オーバードライブ』になり、最終的に『ワイルドアイズ』になった。

富沢氏:
 そうでした。『ワイルドアイズ』の話をすると果てしなく長くなるので、このインタビューでは簡単にお訊ねしたいんですが、あれはアスキーから発売する予定で開発していましたよね。

宮岡氏:
 そう。データイーストにはもうゲーム開発する体力がなくなっていて、それで、さきほどの吉田部長がアスキーに移籍していたから、『メタルマックス』の商標権をアスキーがデータイーストからレンタルして作り始めた。

富沢氏:
 それでハードの選定をして、ドリームキャストになり、ある程度まで作ったところで開発中止になったわけですが、そのへんの理由を話せる範囲で教えてください。

宮岡氏:
 それはCSKという会社がアスキーの経営権を握ったからですね。アスキーの業績がすごく悪くなって、CSKはアスキーの経営を立て直すために、外注事業を全部中止にしたんです。

富沢氏:
 そのために17年という長いブランクが空いてしまった。

宮岡氏:
 そのあと、ぼくの会社(クレアテック)にいろいろ話は来ていたんですよ。面白いところでいうと、ホリエモンの会社。

富沢氏:
 ライブドアですか?

宮岡氏:
 その前の……オン・ザ・エッヂ。
 そこの人が「『メタルマックス』やりましょう」という話を持ってきたりとか、ほかにも『女神転生』のアトラスから「やりませんか?」って話があったりもしたし、いくつか引き合いは来ていたんですよ。

 だけど、いろいろな人が来ても、いざ権利の話になると去っていくわけ。

富沢氏:
 データイーストの破産によって『メタルマックス』の版権が非常にややこしいことになっていたそうですが、やはりその影響ですか。

宮岡氏:
 まあ、簡単に言えばそういうことですね。結局、あれこれあって版権はほぼクリアになるんだけど、そこで田内くんとエンターブレイン(当時)の久保くんというプロデューサーが、たまたま何かで会ってから動き出したんだよな?

田内氏:
 わたしがクレアテックを辞めて、別の会社に……。

富沢氏:
 あ、ここで読者に説明しておきます。田内くんは、データイーストを辞めたあとクレアテックに入社して、しばらくは宮岡さんの片腕として働いていたんですよね。はい、それで?

田内氏:
 そのあとクレアテックからケイブという会社に移りまして、その際に移籍の挨拶でいろいろな知り合いに連絡したわけです。

 そうしたら、エンターブレインの久保さんから「久しぶりに飲もうよ」と誘われて、そのときに『メタルマックス』の話が出て、「やりましょう」という話になりました。飲みの席ではよくあることじゃないですか。

富沢氏:
 はい、そうですね。

田内氏:
 でも、久保さんとしては本気だったらしくて、「正式な手続きを踏んでやりましょう」と。そのときわたしはケイブにいたから、ケイブで作るつもりだったんですよ。
 開発の見積書とか作って、久保さんに渡しました。
 それで半年とか10ヵ月近く経ったんですけど、わたしがケイブでコンシューマからケータイ部門に移動になり、「だとするとケイブで作るのは難しくなってきたなあ」と思って。

 でも、久保さんはその進む道を止めずに宮岡さんへ話を持っていった。ところが、いよいよ権利の話も解決しそうだし、本格的に作るとなったタイミングで、わたしはケイブを辞めちゃったんです。

富沢氏:
 辞めてフリーランスに?

田内氏:
 そうです。フリーの立場でプロジェクトに参加したんです。

富沢氏:
 そういうことだったのね。『ワイルドアイズ』の中断から『メタルマックス3』が復活するまでを外から傍観していたわたしの目には、「宮岡さんの弟子とも言える存在の田内くんが、中断していたプロジェクトを再生して師匠の苦境を救った」と、そういう風に見えたのです。

宮岡氏:
 まあ、あながち間違いではないよね。

富沢氏:
 「田内くんかっこいいなあー!」って感動したんですよ。

田内氏:
 まあ、久保さんの熱意のおかげだと思いますよ。

富沢氏:
 それで『メタルマックス3』がドカーンと売れたら、ドラマとしてはすごく美しい話になるんですが、実際のところはどうだったんですか?

田内氏:
 あのころとしては売れたほうでしたよ。問屋さんのお薦めの作品に選ばれたんですよね。

宮岡氏:
 エンターブレインさんにプロジェクトの規模を想定で算出する部署があったんですよ。

 そこが弾き出したのは、「これはせいぜい売れて7万本だろう」という数字だったの。そうすると、それに見合う予算しか出ないのね。

富沢氏:
 まあ、そうなるでしょうね。

宮岡氏:
 そういうところからスタートして、結果10万本くらい行ったからね。当初の想定よりは売れたんだ。

田内氏:
 文化庁の‥‥メディアなんとか賞とかももらいましたからね。

宮岡氏:
 メディア芸術祭の審査委員会推薦賞だったかな。パッケージが六本木の国立新美術館に展示されているのを見たときは、感激しました。
「竜退治はもうあきた」とドラクエチームから巣立った男がメジャーを目指して26年。流行に逆らい続けたメタルマックスが追い求めたのはドラクエからの自由だった【宮岡寛インタビュー】_062

富沢氏:
 では、プロジェクトとしては合格じゃないですか。

田内氏:
 だから矢のような速さで、そのあとすぐに『メタルマックス2』のリメイク(『メタルマックス2:リローデッド』)(2011年発売)の制作が決まったんです。

 それはもう『メタルマックス3』の立ち上げの大変さに比べたら、嘘みたいな速度で。

富沢氏:
 そして次が、メインタイトルとしてはいまのところ最新作の『メタルマックス4 月光のディーヴァ』(2013年)です。

宮岡氏:
 まあ『メタルマックス4』は……ぼくらの、スタッフのギャラの取り分を削ってアニメ制作をしたんですよ。もう語るも涙、みたいな話ですけど。

田内氏:
 『メタルマックス2:リローデッド』は、ゲームの中身は評判よかったんですけど、売り上げはそんなによくなかった。

 そうするとエンターブレインさんの上層部の考えで、売りかたに問題があるとなった。そこで『メタルマックス4』のときには、「ゲームの企画は問題ないから、売りかたをもうちょっと考えろ」と言われて、そこで出たのがアニメーションを入れることでした。

富沢氏:
 それが完成して発売されたのが2013年。もう5年ほどになるんですね。そこから「すぐ次に」とはならなかったということは、やはり『メタルマックス4』のセールスもあまり伸びなかったわけですか。

宮岡氏:
 ダメでしたね。まあ、「終わった」と思いましたよ。だって勝負をかけたわけだから。自分たちの取り分まで削って、プロデューサーから「そうやらないと予算が取れないんで、いいですか?」なんて話が来て、「じゃあ、やったろうやないけ!」というような。
 そこまでの覚悟で作って、アニメーションも入れて、初めて声優さんも使って、中身もやれる限りのことはやって。

田内氏:
 『メタルマックス』史上最高傑作だと思いましたよ。当時としてはやれることは全部やったから。

宮岡氏:
 だから作り終わったときはすごい充実感があったの。「おれたち、いいもん作ったんじゃない?」という感じで。ところがプロモーションが始まった途端にネットでコキおろされて。

富沢氏:
 えっ、そうだったんですか?

宮岡氏:
 「キャラのグラフィックがヒドい」とか、「みんな引くだろこのパッケージ」とか、ね。するとその書き込みから罵倒の祭りが始まっちゃって。発売前なのに非難の大合唱。あれはつらかった。

富沢氏:
 ああ、わたしも最初にこれを見たときは「だいぶ振り切ったなあ」と思いました(笑)。

田内氏:
 最初の広告でかなり叩かれました。遊んで叩かれるんなら、そりゃ「すいません、つまらないゲームを作って」で済むんですけど、遊ぶ前に叩かれたからなあ。

富沢氏:
 宮岡さんが東京のご自宅と事務所を引き払って、いま故郷の山口にお住まいなのは、やはりそのへんが影響されてるんでしょうか?

宮岡氏:
 まあ、そうですね。これ(『メタルマックス4』)が最低目標の本数すら売れなかった。

 そうすると、当然のことながら次の企画も通らないわけですよ。そうするとまあ、「これはやっぱり終わりかなあ」という感じで、東京にいてもランニングコストがかかるばかりだし、もう会社も畳むしかなかろうと。

田内氏:
 そうしたら、捨てる神あれば拾う神ありで……。

富沢氏:
 あ、それがこのたび発表になった『メタルマックス ゼノ』なんですね!

田内氏:
 今度は角川ゲームスさんです。

『メタルマックス ゼノ』とその先へ

富沢氏:
 えーと、エンターブレインさんもカドカワグループでしたが、それとは別で?

田内氏:
 『メタルマックス4 月光のディーヴァ』まではエンターブレインさんが主導で、『メタルマックス ゼノ』は角川ゲームスさん。

富沢氏:
 『メタルマックス ゼノ』はいつごろから作り始めたんでしょうか?

宮岡氏:
 もう2年は経っているね。ホントは1年くらいで出すつもりだったんだけど。

富沢氏:
 その開発中は、宮岡さんは山口にいらしたんですか?

宮岡氏:
 そうね。角川ゲームスの安田社長が「山口に住んでいてもいいよ」と言ってくださったので、在宅勤務で。都落ちして引き籠もりになるかと思っていたら、新しいワークスタイルにチャレンジしています、みたいな状態に。

富沢氏:
 いまはネットがあるから、会議だってSkypeでやれますしね。

宮岡氏:
 なんとかなるもんだね。Skypeは突然切れたりするから重要な会議のときは東京に来ていたけど、普通にシナリオを書いたり、マップを描いたりしているだけなら、東京にいようが山口にいようが関係ない。

富沢氏:
 また東京に戻ってくるお気持ちはありますか?

宮岡氏:
 『ゼノ』が100万本売れたら考えないでもない(笑)。ただ、だいぶ田舎にも慣れちゃったんで。

 今回も上京してきて、品川とか見ると「うわぁ、ビルだらけだな!」って。

富沢氏:
 (笑)。ここまでのお話からも実感するんですが、『メタルマックス』って、売れた本数にくらべて知名度が大きいと思います。その理由ってなんだと思います?

田内氏:
 血が濃いんですよね。

宮岡氏:
 まあ……似たようなゲームがほかになかったからですか。

 いまでこそ、世界が滅びて、モンスターが跋扈して、それを狩るゲームというのはたくさんありますけど、『メタルマックス』を作っていたときは、そんなゲームはなかったから。

 それがいま主流になっているということは、そういう題材がゲームに向いてたとも言えるわけなんで、ほかにこういうゲームがないころに『メタルマックス』をやった人には、強烈に焼き付いたのかな、とは思います。

田内氏:
 あと、『メタルマックス4』のときのユーザーアンケートで面白かったのは、「『メタルマックス』以外で好きなRPGは?」という質問があって、その答えの1位が『ドラクエ』でも『ファイナルファンタジー』でもなく、『女神転生』だったんですよ。

富沢氏:
 なるほど。『メタルマックス』を作っていたとき、『女神転生』は舞台が同じ崩壊後の東京(をモデルにした都市)だったりしたから、意識はしていましたよね。

宮岡氏:
 うん。あれも尖ったところのあるゲームだし。

富沢氏:
 悪魔と戦車ではかなり方向が違いますけどね。それから『メタルマックス』ファンのためにこれは訊いておかなければならないと思うんですけど、ドラム缶【※】が生まれた背景を教えてください。

※ドラム缶……『メタルマックス2』のデスクルス刑務所で初登場した、囚人の自分が延々とドラム缶を押さなければならない拷問イベント。たいへんな苦痛が逆にファンのあいだで話題を呼び、ある意味で『メタルマックス』を象徴するイメージとなった。

宮岡氏:
 あれは桝田くんが考えたんだよ。最初に彼が持ってきた仕様書では、製品版の2倍押すことになっていたんだ。

富沢氏:
 うわーっ!

宮岡氏:
 テストプレイして「これはないだろう!」と思って押す回数を半分にした。それでもまだ多かったかもね。

 ただ、あれを押しているとα波が出るんだよね。「クソめんどくさいことやらせやがって!」という怒りが、そのうち怒りを突き抜けてだんだんどうでもよくなってきて、とうとう絶対服従する快感みたいなものすら感じてしまう。

 「本当に囚人になったらこんな気分なんだろうか?」とか思いながら。

富沢氏:
 あれは必須イベントでしたっけ?

田内氏:
 必須。やらないと、監獄の街デスクルスの扉が開かないんです。でも、ひどいですよね、こんなイベントを必須にするなんて(笑)。

富沢氏:
 普通のゲームデザイナーはやりません。

宮岡氏:
 それはやっぱりその……強烈な体験をさせることを目指して作ったゲームだし、計算外なところもあるかもしれないけど、「それだからこそ」という部分もある。きれいなお話が用意されていて、順繰りに追っていけばいいというゲームじゃないんですよ。

 やっぱり思いもよらぬところで変な敵に全滅させられ、「いつか絶対殺したるからな!」という内的要因でレベルを上げるとか、苦労して稼いだ賞金をまるまるはたいて戦車をめちゃくちゃ改造するとか、感情を剥き出しにしてやるゲームなんです。

 だから完璧に演出され尽くした超大作の映画を観ている感じではなく、自分が映画の中に入って勝ち誇ったり泣きわめいたりするようなテイストなんだと思いますよ。

富沢氏:
 では、まもなく発売される最新作の『メタルマックス ゼノ』も、そういったテイストは変わらず?

宮岡氏:
 今回の『ゼノ』は初心者向けになってます。いままでになく易しいゲーム。

富沢氏:
 えっ、そうなんですか? これまで支えてきてくれた熱狂的な『メタルマックス』ファンを裏切ったりすることにはなりませんか?

宮岡氏:
 んー、まあ、裏切ることにはならないと信じています。最終的にやることは同じだから。ただ、これまでは「わかってるよね?」で済ませていたことをわりと丁寧に説明したり、いままでは10種類くらいあった解決方法を、2種類くらいに絞ったりしている。

富沢氏:
 迷いの幅を狭めてあげる。それはいいことじゃないですか。

宮岡氏:
 だから「裏切られた」というより、「簡単すぎる」と感じる人はいるかもしれないね。いちおう、10人が買ってくれたら9人はエンディングまで行けるゲームにするつもりで作りました。

富沢氏:
 そこは「10人全員が」じゃないんだ(笑)。でも、1作目のときからそういうつもりはあったでしょう?

宮岡氏:
 おれは、ね。

富沢氏:
 結果的にはそうじゃなかったかもしれないけれど、「買ってくれた人のほとんどが最後まで遊んでくれるように作る」という気持ちはずーっと持ち続けていますよね?

宮岡氏:
 うん。それは変わってないんだけども、ただ今回は、いままで以上にそれを最優先事項にしたってことかな。かつてなくわかりやすい、誰でも解ける『メタルマックス』になっていると思います。

富沢氏:
 じゃあ、これまでの“らしさ”が失われたわけではなく、「間口を少し広げてありますよ」ということで。

宮岡氏:
 そうそう。いままでも熱心なファンの皆さんが「知り合いに勧めたいんだけど、これはわかってもらえいないかも?」と不安視していたような部分が、『ゼノ』なら大丈夫なんじゃないかと思う。

富沢氏:
 今度は熱心なファンの皆さんも胸を張って布教できる(笑)。そういうゲームになっているということですね。

 抽象的な質問ですが、つまづいたり、挫折したりもしてきながら、それでも『メタルマックス』シリーズを作り続けるモチベーションって、どうやって維持してこられたのでしょう?

宮岡氏:
 『メタルマックス』に関しては、やりきった感なんてさらさらないですから、つねに次を作りたいんです。ただ、なんていうのか、自分自身がハードユーザーなんで、やっぱり物足らないんですよ。そうすると「誰かそこ掘ってくれないかな?」って思って、でも、「それは自分が掘るしかない」という結論になる。

富沢氏:
 昔『ウィザードリィ』や『ウルティマ』をやっていたときの感覚が、いまもあるということでしょうか。

宮岡氏:
 そうですね、やっぱりゲームが好きなんですよ。それは田舎で暮らしてると痛感します。

 根詰めて仕事して、その疲れを癒してくれるのはゲームだから。

富沢氏:
 海を見に行ったりしないんですか(笑)。

宮岡氏:
 家から10分歩けば海なんですけどね。海よりゲーム。

富沢氏:
 わははは! でも、かつて宮岡さんが仲間内で誰よりもゲームをやっていて、そのせいで堀井さんからファミコン神拳に誘ってもらい、さらには『ドラクエ』の開発にも参加することになったわけで、そのときからいまに至るまで宮岡さんんの精神性が変わっていないことに、わたしは感動を覚えました。

宮岡氏:
 最新の海外のゲームとか遊んでみるとさ、もう技術力が凄いわけですよ。「それにどう立ち向かうの?」というようなことは、遊んでいながらつねに頭の隅で考えていて。だから『ゼノ』が売れて、「その次を作ろう」ということになったら、「今度はどうする?」ということは考えてしまいますね。

 今回は、まだこれまでどおりちゃんと戦闘モードに切り替わるスタイルで、つまり『ドラクエ』と同じ仕組みなんだけど、次はもうそこを崩そうかなあと思っているし。

富沢氏:
 じゃあ、フィールドを走行しているといきなり敵が襲いかかって……あ、もっと違うことを考えてるのかな。

宮岡氏:
 うーん、要するに戦闘モードという閉じたところに入るのではなくて、そのままその場で戦闘したりとか。ただ、その場で戦闘するとなると、「タンクシミュレーターとどこが違うんですか?」という話になるじゃない? そうすると、そこをどうするか、悩んでいるところですね。

富沢氏:
 新しい『メタルマックス』に期待しています。(了)


 インタビュー中にもあるように、宮岡氏は現在は山口県に住んでいる。運良く、2017年の年末に『メタルマックス ゼノ』に関する打ち合わせで上京していたタイミングに合わせて時間を割いていただき、インタビューすることができた。

 「中退するために大学に入った」という衝撃の冒頭から約2時間、ゲームとの出会いや『メタルマックス』制作の舞台裏などをたっぷり語っていただいたが、『メタルマックス』のインタビューと謳っておきながら、前半ではかなり『ドラクエ』の話になっている。

 ただ、それだけ『メタルマックス』には『ドラクエ』の遺伝子が流れているということでもある。両方遊んでいる人なら、随所に共通点があることはわかっていただけるだろう。

 限られた時間、限られた予算の中で、大勢のクリエイターが知恵を絞り合うゲーム開発の現場では、人間関係がギスギスしたり、ときにはトラブルに発展することも少なくない。けれど、宮岡さんとのゲーム開発ではそのようなこともなく、終始笑いが絶えない楽しい時間だった。わたしがプロジェクトを離れて以降も、そうした雰囲気は変わらず続いているであろうことは、このインタビューからも感じ取れるはずだ。

 まもなく(2018年4月19日)ファンたちの前に姿を表す『メタルマックス ゼノ』は、シリーズ初の全世界発売(欧米・アジア)が決定している。ここに来てついに『メタルマックス』はブレイクするのか、しないのか。
 しかしその結果がどうであれ、『メタルマックス』ファンの想いは変わらないはずだ。

 2017年末に開催された「メタルマックス25周年ファン感謝祭」というイベントでは、「『ゼノ』に関して残念なお知らせがあります」とのアナウンスのあと、「……ポチは出ません」と発表された。
 ブーイングが巻き起こるかと思いきや、場内は爆笑に包まれた。『メタルマックス』のファンとは、つまりはそういう人たちなのである。

 これを機会に、『メタルマックス』をあなたの「いつか必ずブレイクするリスト」に、入れてみてはどうだろうか。

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